目先の判断で軽々しい評価をすると、後で大恥をかくこともあるそうで。
僕の愛読書の一つ『日経サイエンス』には、毎号、“サイエンス考古学”という記事が載っています。
これは、「50年前」、「100年前」、「150年前」などの区分で、当時の科学論壇の世評等を紹介している記事ですが、これが実に面白いのです。
例えば、今年7月号に載った記事の一つ「チェスへの堕落」では…?
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日経サイエンス
(※当該号ではない) |
**日経サイエンス2009年7月号「サイエンス考古学」より引用**
【150年前(1859年)】
「チェスに興じるという悪しき娯楽は全米に広がり、いまや町や村にチェスを楽しむためのクラブが無数にできている。
それの何が憂慮すべきことなのか疑問に思われるかもしれない。
チェスは非常にくだらない遊びにすぎず、本来ならもっと高尚な学識や技能の獲得に費やされるはずの貴重な時間を奪ってしまううえ、肉体の健康にとっても何一つ利点がない。
チェスは頭脳の働きを鍛えるとよく言われるが、産業に従事する人はこの不健康で陰気なゲームをするべきではない。
そういう人に必要なのは戸外での運動による気晴らしであって、この種の競技ではない。」
いやはや、何ともすごい言われよう…。
でも、実際にこの時代の米国では、こういう考え方が特別なものではなかったのでしょう。
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コンピュータのチェスゲーム |
社会になにか新しいブームや文化が登場する時と言うのは、得てしてこんなものかもしれません。
日本の現代史を見ても、マンガやアニメやテレビゲームが出始めの頃は、社会の(大人の)評価はおおむねそんなものでした。
しかし、現在では、巨大なマーケットを持つコンテンツ産業として世界に輸出され、世界をリードするまでに成長しました。
チェスもまた、欧米圏のみならず、全世界150か国以上で楽しまれる頭脳的ゲームとして評価は定まっています。
逆に言えば、新しい文化が将来的にどのような評価をなされるのか誰も予測はできないのであります。
近視眼的な考えだけで決め付けをすると、将来、大恥をかく可能性がありますので、お互い気をつけましょう。
ところで、チェスの起源は紀元前、古代インドのチャトランガというゲームだそうです。
ペルシアに伝えられて8世のロシアに波及し、それから約100年後に西ヨーロッパへ伝わりました。
新大陸アメリカでブームを起こしたのは、ずっと時代が下ってからのことなので、他国における歴史的背景を軽んじてしまったのでしょう。
そんな米国ですが、1972年にボビー・フィッシャーが、ロシアのボリス・スパスキーを破ってチャンピオンの座に就くと、フィッシャーは「米国の英雄」ともてはやされたのでした。
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ボビー・フィッシャー
(米国の英雄) |
チェスは、縦横8マスの盤に敵味方16個の駒を並べて“詰み”を競うゲーム。
将棋と比べても盤自体が小さいですし、取った相手の駒を手駒にすることもできませんから、指し手のバリエーションが少ない気がします。
そういう特性から、コンピュータにチェスをさせるという試みが早くからなされ、コンピュータの歴史とコンピュータチェスの歴史は並行して発展してきました。
1997年には、IBMのコンピュータ「ディープ・ブルー」が、世界チャンピオンであるロシアのガルリ・カスパロフと対戦して勝利を収めるという快挙を成し遂げます。
しかし…
そもそも、チェスのような差し手が限られる対戦型ゲームは、双方が最善手を尽くした場合、必ず“先手必勝”か“後手必勝”、あるいは“引き分け”になることが、ゲーム理論のエルンスト・ツェルメロによって証明されているのです。
あらららら…それでは身も蓋もない。
コンピュータに勝利するなんて、できそうもありません。
では、どのくらいの計算をすればいいのか?
米国の数学者クロード・シャノンによると、チェスの初手から最終手までにルール上可能な着手は、10の120乗通りと試算されています。
うーん…どのくらい大きな数字なんだ?
カール・セーガンの名著「COSMOS」に書いてあった話で、『全宇宙空間に中性子を隙間無くぎっしりと詰め込んだとすれば、その中性子の総数は10の128乗個』と言うことだから…?
あっ! 無理!無理!
みなさん、安心してチェスを楽しみましょう♪
《配信:2009.11.10》
葉羽 チェスは、ARISF加盟IOC承認スポーツであるなど、スポーツとしての側面も持っているそうです。 |