新年になって早くも1カ月経つが、その1カ月の間に私がよく知っているあるいは影響を受けた有名人がいやに多く亡くなっている。
特に映画監督が3人も鬼籍に入った。その10人についてまとめてみた。
1.久米宏(ニュースキャスター) 1月1日死去 81歳
テレビ朝日への政界からの圧力でクビになった「ニュースステーション」の司会者だが、その最後の放送で瓶ビールを開けて番組の最後に一人で飲んでいた映像が追悼番組で流れた。死因は肺がん。
その「末期の水」は旨そうに飲んだ好物のサイダーだったと妻の久米麗子(スタイリスト、81歳)。元日に亡くなるあたりがお騒がせマンの久米らしい。

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2.タル・べーラ(映画監督) 1月6日死去 70歳
ハンガリーの映画監督。「ニーチェの馬」(2011年)を最後に56歳で映画監督業はやめていた。あまりに早い引退だった。
タル・べーラ
この「ニーチェの馬」はタルコフスキーの映画をさらにディストピア化したような絶望を描いていて心底感動した。その後主要作はほとんど見たが、全編で7時間18分という超大作「サタンタンゴ」(1994年)だけはまだ見ていない。死ぬまでに見れるかどうか心配になるような「難物」である。
3.ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(デザイナー) 1月19日死去 93歳
2008年に引退していた。昨年のアルマーニ(昨年9月4日に91歳で死去)に続く大物デザイナーの死だ。誰もが認めるエレガンス・ファッションの第一人者だった。セレブが競って彼のファッションを身に纏った。

ヴァレンティノ・ガラヴァーニ
これで残る大物はラルフ・ローレン(1939年10月14日生まれ86歳)とカルバン・クライン(1942年11月19日生まれ83歳)ということになるかな。いや川久保玲(1942年10月11日生まれ83歳)、山本耀司(1943年10月3日生まれ82歳)も心配だな。
4.東陽一(ひがし・よういち、映画監督) 1月21日死去 91歳
「サード」(1978年)「もう頬杖はつかない」(1979年)「四季・奈津子」(1980年)「ラブレター」(1981年)「ザ・レイプ」(1982年)「ジェラシー・ゲーム」(1982年)「セカンド・ラブ」(1983年)「湾岸道路」(1985年)「化身」(1986年)などので話題作で知られる映画監督。
東陽一
私はあまりにウケ狙いが通俗的で評価しなかったが、全盛期の上記9本の映画では、それぞれ森下愛子、桃井かおり、烏丸せつこ、関根恵子(現在 高橋惠子)、田中裕子、大信田礼子、大原麗子、樋口可南子、黒木瞳を主役に起用して彼女たちをスターダムに押し上げた。こうして振り返ってみると9人の女たちは壮観の極みである。女優扱いの上手い映画監督だったのだ。
5.加藤一二三(将棋棋士) 1月22日死去 86歳
「神武以来の天才」「1分将棋の神様」と呼ばれた将棋界の「元祖 天才棋士」である。しかしいろいろと毀誉褒貶の激しい人物だった。「ひふみん」と呼ばれた晩年のだらしない風貌からは連想できないが、キリスト教の信者でクラシック音楽を愛した。
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悲願の名人位を中原誠から奪取しバチカンでローマ教皇に謁見したのが加藤の人生のピークだったと思う。14歳2カ月でプロ四段つまり最年少プロ棋士となった藤井聡太のプロ入り第1戦の相手が加藤一二三だった。藤井聡太に破られるまでプロ入り最年少記録(14歳7カ月)を持っていたのは加藤だった。

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6.山下和仁(ギタリスト) 1月24日死去 64歳
この人のギターソロで「展覧会の絵」のCDを聞いた時の驚きを忘れない。この山下に触発されてラリー・コリエルのギター版「春の祭典」などというさらにトンデモ編曲のCDが登場した。
山下和仁
妻が作曲家の藤家渓子(ふじいえけいこ、62歳)だったとは今回の訃報で初めて知った。藤家は2020年から活動の拠点を西アフリカのブルキナファソに移しているが、山下はどうしていたのだろうか。死因も含めいろいろと知りたいことがあるが。
7.鈴木辰己(オートレーサー) 1月24日死去 72歳
1979年から1982年まで私は某証券会社の浜松支店で営業マンとして働いていたのだが、その頃よく通っていた浜松オートレース場の輝けるプリンスだったのがこの鈴木辰己だった。愛車は「ザ・ウィナー」。とにかくスタートが恐ろしく速かった。もうとっくに引退していると思ったらなんと72歳で現役だった。
鈴木辰己は1月24日遠征先の川口オートレース場の第2レース第4周回第4コーナーで落車し後続車と接触。緊急搬送されたがその後翌25日午前2時40分に多発性損傷で死去(殉職)。なんという壮絶な最期だろう。
鈴木辰己
この事故死を知ってWikipediaで鈴木辰己の項を読んでみたら、実娘の鈴木成美(すずきなるみ、39歳)がなんと静岡支部所属の競艇選手になっていた。浜松にはギャンブル場としてオートレース場の他に浜名湖競艇があるのだ。彼女のWikipediaを読むと「スタートが速い」とあって、カエルの子はカエルだなあと笑ってしまう。彼女は同じ競艇選手の山田雄太と2006年に結婚し2007年には子宝にも恵まれたというから、鈴木辰己は孫を抱くことが出来たようだ。それが救いである。
8.モーリー・ロバートソン(ジャーナリスト、タレント) 1月29日死去 63歳
ニューヨーク生まれ。父は米国人心臓医で母は日本人で毎日新聞社記者。広島の修道高校卒業後に入学した東大を中退しハーバード大を卒業している異色の米国籍タレントだった。
あるバッグメーカーのパーティで話したことがある。なかなか愉快で頭のキレる男だったが、最近TVで見かけなくなったと思ったら食道がんで闘病していたのだった。63歳というのは今の時代では「若い」なあ。パートナーは女優の池田有希子(55歳)だった。食道がんが見つかったのは昨年8月。すでに肝臓に転移していたという。(※右の背景画像)⇒
9. 長谷川和彦(映画監督)1月31日死去 80歳
誤嚥性肺炎による多臓器不全で亡くなっている。20年ほど前に肺がんを患いここ2、3年はパーキンソン病などを発症し入退院を繰り返していたようだ。体も動かず会話もままならなっかったという。現在の広島県東広島市生まれ、東大文学部中退。
長谷川和彦
ゴジの愛称で有名な監督だが、監督作品は「青春の殺人者」(1976年、原作は中上健次)と「太陽を盗んだ男」(1979年)のたった2本しかない。それなのにこの知名度の圧倒的な高さ。人間分類すれば、要するにナマケモノなのであるが、あまりにも面白くて笑えるエピソードに満ちたそのWikipediaが最高傑作であるような気がしてくる。
「3本目の映画を完成するまでは死ぬに死ねない」が口癖だったらしいが、女優の室井滋(67歳)のヒモみたいな人生だったとも言えるが、そういう男は掃いて捨てるほどいる。こういうナマケモノが残すものは借金と私生児なのだが、長谷川は傑作映画をたった2本だが監督して残し80歳の人生を終えた。
10 .落合信彦(ジャーナリスト)2月1日死去 84歳
もう忘れられているが、1970年代、1980年代の落合信彦というのは、空手・柔道の有段者にして英語ペラペラのタフガイ国際ジャーナリストで、ジャーナリスト志望の若者にとっては、沢木耕太郎と並んで憧れの存在だった。この他にも早死にしたが「江夏の21球」の山際淳司(1995年に46歳で逝去)も憧れだったなあ。その後は「立花隆の時代」のになるのだが。
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落合以前にも「国際ジャーナリスト」という看板を掲げた大森実(1922.1.13~2010.3.25)という大物がいた。大森は毎日新聞社記者を1967年に辞めてフリーのジャーナリストになってアメリカやアメリカ軍に関する大スクープを連発し1974年にはカリフォルニアに移住した。
その流れをもっとジャーナリスティックなエンターテインメントにしたのが落合だった。得意の空手・柔道を教えた各国諜報員とのコネクションがフル活用していたようだ。私もベストセラーになった「2039年の真実」「2人の首領/笹川良一と小佐野賢治」は貪り読んだものだ。
またキリンビールの脅威になっていた「アサヒ スーパードライ」の初代キャラクターとしてTVCMに落合は1987年起用されて大衆的人気が沸騰。作家長者番付の上位にランキングされるような存在になった。1990年代には男性雑誌の人生相談に登場したり、若者向けの啓発本を書いていた。メディアアーティストで東大大学院准教授の落合陽一(38歳)は実子である。
(20260.2.6「岸波通信」配信 by
三浦彰 &葉羽 )
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