映画『ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇』(2018年/ヤン・レノレ監督/1時間36分)の試写を見て来た。
2018年にパリで初演され、その後ロンドン公演を経て2023年には東京・大阪の上演でアジア初上陸を果たし、全世界で35万人の観客を熱狂の渦に巻き込んだミュージカル『ファッション・フリーク・ショー』のメイキング・フィルムだ。
この映画は9月29日からヒューマントラストシネマ渋谷など全国公開される。
私は残念ながら、ミュージカルは未見だが、日本ではあまり話題にはなっていなかったようだ。
余計なことだが、映画のタイトルだが、「ジャンポール・ゴルチエ」ではなくて、単にゴルチエだとなにか不都合があるのだろうか。
そのゴルチエ(1952年4月24日生まれ、71歳)は2020年1月22日に引退を表明した。68歳での引退は少々早過ぎるように思えたが、まあそれが彼の人生観なのだろう。
私は、ゴルチエはカール・ラガーフェルドの跡を継いで「シャネル(CHANEL)」のデザイナーになるものとばかり思っていた。もし、ゴルチエでなければ、アルベール・エルバスがカールの後釜になるのだろうと思った。しかし、どちらも違っていた。
結局ゴルチエは「エルメス(HERMES)」のウィメンズウェアのデザイナーになり(2004年〜2011年)、エルバスは「ランバン(LANVIN)」のウィメンズウェアのデザイナーになって(2001年〜2015年)、「シャネル」には縁がなかった。
それぐらい、ゴルチエとエルバスは抜けた存在だと私には思われたのだが、ラガーフェルドが最後まで明け渡さなかったということなのだろうか。それぐらい、「シャネル」のデザイナーというのは、ギャラ(年間5億円と聞いたことがある)もステータスもとび抜けているのだ。
このメイキング・フィルムを見た後に、試写室にいた友人と飲んだ。「デザイナーの時代」と呼ぶにふさわしい1980年代、1990年代の話になった。
クロード・モンタナ(1947年〜)、ティエリー・ミュグレー(1948.12.21日〜2022.1.23)の話になり、「忘れちゃいませんか?」という具合でクリスチャン・ラクロワ(1951.5.16〜)に至るが、ラクロワってゴルチエと同い年なんだ。まだ「プチバトー」と「デシグアル」とのコラボみたいなことをしているのだろうか。
本当はここにはフランコ・モスキーノ(1950.2.27〜1994.9.18)が加わるはずなのにあまりにも早く逝ってしまった。少しデビューが遅かったからヴィヴィアン・ウエストウッド(1941.4.8〜2022.12.29)なんていう「ロンドンの旋風」も1980年代、1990年代を彩ったデザイナーに数えていいだろう。
これにニューヨークからは、ラルフ・ローレンやカルバン・クラインに継ぐ第3のデザイナーとしてダナ・キャラン(1948年〜)がキャリア・スタイリングの女王として台頭したのもこの時代である。
もちろんサンローラン、アルマーニ、ヴァレンティノ、ヴェルサーチェ、フェレ、ラルフ・ローレンという大御所や森英恵、三宅一生、川久保玲、山本耀司という日本人デザイナーの活躍もあり、1985年から1995年までの10年間は「豊穣の時代」と呼ぶにふさわしい夢のような時間だったというのが実感されるのだ。
ああ、こんなことを話していたら、今の時代は言ってみれば、ラグジュアリーブランドによるデザイナー傭兵時代なのだということが身に沁みて分かる。
あ、映画のことも書かないと。一番の見所というか、私が驚いたのは、「VOGUE」のアナ・ウインター編集長が主催するファッションイベントと「メットガラ」に駆けつけたゴルチエがアナに挨拶して頬にキスしようとすると素っ気なくかわされるシーンだ。
どうもアナはゴルチエが好きじゃなかったらしく、そう言えば「VOGUE」でもあまり扱っていなかったような気がして来た。
まあ、ファッション好きなら見て損のない映画だが、そうでない人にはどうなんだろうか。
私は1985年頃に東京モード学園で学生に特別講義をしたゴルチエをインタビューしたことがある。
あれから40年近く経つけれども、祖母ちゃん子だったことや、テディベアへの偏愛、セクシーだった叔母の肩からはみ出たブラジャーの紐のことなど同じことを相変わらず語っていて実に懐かしかったのを付記しておく。
■『ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇』
9月29日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋、シネマカリテほか全国公開
配給:キノフィルムズ
出演:ジャンポール・ゴルチエ、マドンナ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ロッシ・デ・パルマ、ナイル・ロジャース、マリオン・コティヤール
監督:ヤン・レノレ
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