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大半の日本人にとって、ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)作曲の「蝶々夫人」は複雑な感慨を抱かせるオペラである。

ジャコモ・プッチーニ

ジャコモ・プッチーニ

 明治初期の長崎に現れた好色な米国海軍士官ピンケルトンが15歳の芸子を愛妾にして子供を作りさっさと米国に単身帰国。

 その後米国人の妻ケートをめとり、3年後長崎に再び舞い戻り、その子供を引き取ろうとする。すると下級武士の娘である芸子は名誉の自殺を遂げる。

 なんとも救いのないストーリーである。ピンケルトンという無責任な好色漢は、古今のオペラ作品の中でも悪人ベスト3には入るであろう卑劣漢だ。

 新国立劇場で公演中の「蝶々夫人」は栗山民也の演出。

(※右の背景画像 撮影:三枝近志)⇒

 地下シェルターのような蝶々さんの家(長崎に投下された原爆を想起させる)の小窓から見える港の上空には、ピンケルトンが滞在中は、乗っている船のマストの星条旗が見える。

新国立劇場「蝶々夫人」

新国立劇場「蝶々夫人」

(撮影:三枝近志)

 蝶々さんの子供が持っている人形も星条旗柄の洋服を着ている。あの時代、日本は米国を始めとした欧米列強国にとっては植民地同然の存在であったことを彷彿とさせる。

 そして第2次世界大戦後の米国軍の進駐を経て、現在は米国の51番目の州と揶揄される始末。蝶々さんの時代から日本はどれだけ変わったのだろう。

 蝶々さんは、やはり自刃するしかなかっただろう。最後の希望だった子供を卑劣漢に奪われて連れ去られるのを茫然と見送って涙に暮れてしまうような「不名誉」な結末だったら、怒り出す日本人がいそうである。

 とにかく、このオペラを観ると複雑な思いが錯綜して困る。

 1月30日の初日を体調不良でキャンセルしたギリシャ人ソプラノのアレクシア・ヴルガリドゥが熱唱を披露した。

 卑劣漢ピンケルトン(なぜ日本語訳はピンカートンなのだろう。これをピンカートンと発音する歌手は未だに聞いたことがない)はロシア人ミハイル・アガフォノフが演じたがまさにピッタリのキャラクター。長崎領事館のシャープレスは日本人の甲斐栄次郎、蝶々さん宅の女中スズキは大村智子。

新国立劇場「蝶々夫人」

新国立劇場「蝶々夫人」

(撮影:三枝近志)

 蝶々さんが外国人歌手であることに抵抗を示す日本人がいるが、私にはまったく抵抗がない。しかし、ピンケルトンは100%外国人でないとダメ。

 今回シャープレスの甲斐は好演だったが、これも日本人でも問題はない。女中のスズキも日本人の方が良いだろう。

 苦言を呈すると前回の上演時(2011年)にも感じたが、大団円でピンケルトンが日本に連れて来る本妻ケート(2011年公演では山下牧子、今回は小野和歌子)は、絶対に外国人でないと物語自体が破綻してしまう。

 ほんのちょっと歌うだけで演技らしい演技もないのだが、これだけは外国人にして欲しい。もっとも海外のオペラハウスでは全員ガイジンで、こんなことに注文つけるのも日本での上演だからだが。

 そう言えば海外のオペラハウスで「マダム・バタフライ」は観たことがなかったな。

                

(2014.2.18「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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