初台の新国立劇場オペラパレスでモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観た(10月26日)。
オペラパレスの今シーズンは今年生誕200周年を迎えたヴェルディの「リゴレット」で10月3日に開幕したが、「フィガロの結婚」はシーズン第2弾である。
ドイツ演劇界の鬼才演出家アンドレアス・クリーゲンブルクが演出した「リゴレット」は今回新プロダクションで、舞台はなんと日本のホテル。
それもヤクザと売春婦が巣食う悪の巣窟みたいなホテル(鶯谷か湯島かはたまた大阪は十三あたりかな)で度肝を抜かれた。
キモノドレスや丸まげを結った売春婦も登場してファッション的にも最近のトレンドを反映していた。
しかしストライプ・スーツに身を固めたマントヴァ公爵とその臣下はまさにアウト・オブ・ファッションそのもの。どうでもイイことだが、公爵役の韓国人テノールが朝青龍にソックリで困った。
そう言えば、同劇場で5月に上演されたヴェルディの「ナブッコ」も伊勢丹新宿店を思わせるようなラグジュアリー百貨店を舞台(演出:グレアム・ヴィック)にしていたが、オペラパレスに行くと海外の鬼才演出家が考える日本像あるいは東京像というのが垣間見られて興味深い。
さて、今回の「フィガロの結婚」はすでに同劇場の定評あるプロダクションの再演である。ドイツ人演出家アンドレアス・ホモキによる通称「段ボールフィガロ」と言われる演出だ。
第1幕から第4幕までが一貫して、かなり傾斜のキツイ白い部屋が舞台で、伯爵夫人の部屋は白いタンスを置いて変化をつける程度の簡素さ。
伯爵がロンドン大使に任命されて渡英する準備のための白い段ボールが小道具に使われているが、次第に伯爵の悪巧みが破綻するに従って、この白い部屋は亀裂が入り崩壊していく件。
ついにフィナーレでは伯爵も従者も全員同じ衣装をまとうという仕掛け。封建体制が庶民の自覚によって、徐々に崩れていくといった深層を実に巧みに表現している。
モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」(原作:ボーマルシェ)がウィーンで初演されたのは1786年。その3年後には、フランス革命が勃発するので、それを予言するオペラとして社会学者や哲学者が大きく取り上げて来た。
しかし、話はそんな大それたものではなくて、好色貴族の痴話話に過ぎない。痴話話に過ぎないのだが、その深層にはそうした歴史背景が刻印されている、というあたりを演出家は実に上手く表現している。
私は、モーツァルトのオペラはあまり好きではない。上演時間が長いし、冗慢な部分が少なくないからだが、こんな舞台なら大歓迎だ。モーツァルトの音楽も、生き生きと躍動し始める。
この舞台は2003年10月にこのオペラパレスで初めて披露されたのだが、05年、07年、10年と再演を重ねてきただけのことはある。私は初めて観たが、もう一度観てもいいなと思う。
伯爵役のレヴェンテ・モルナール(バリトン)が特に好演だったと思うが、こういう舞台なら歌手や管弦楽はそこそこの水準以上なら特にどうこう言う必要はないだろう。
(2013.11.12「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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