1本だけだが、実は映画を撮ったことがある。これが自慢である。
といっても、高校生2年生の時に文化祭に出品(何を偉そうに)した8ミリ映画で、尺は30分ほど。
脚本、監督、主演でスタントマンまでやった。
この映画のタイトルは「ハレンチ・コネクション」。
当時大ヒットした「フレンチ・コネクション」(1971年、ウィリアム・フリードキン監督)をパクったアクション映画だった。
予定していた下級生がビビったのでスタントマンまでやって、橋桁や校舎の2階から飛び降りて、しばらくまともに歩けないほどの怪我も負った。
そう言えば、このサイトの管理人の葉羽氏もこの映画に主人公の恋敵として出演していた。
というわけではないが、素人っぽい映画には必要以上にアラ探しをする。
で、今話題の映画「ヘルタースケルター」である。(※右背景写真)⇒
なんと尺が127分。編集してんのか、とまず一喝したいのだが、実際に観てみると、まあ飽きずに観れた。
これは、一にも二にも主演の沢尻エリカ効果であろう。
これがこの映画の最大にして唯一の見所だろう。華のある女優である。
観ている間中ずーっと誰かに似ていると考えていた。
松田聖子?あべ静江?秀香?いずれもさすがにちょっと古いが、これに北アフリカ出身のフランス人の母親のエキゾチックな味わいが加わるから、これはやはり見ものなのである。
この美女が体当たり演技でピンクのバストトップも見せれば卑猥な4字言葉も喚くのだから、これだけで入場料(東京地区1800円)のもとはとれるという言い方もできる。
あとは、なんというかどうでもいい映画だ。
多分監督の蜷川実花は映画をそんなに観ていないのではないか。
でなければ、薬物幻覚のシーンでベートーヴェンの「第九」を流したりはしないだろう。
映画好きなら周知だろうが、スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」(1972年)の似たようなシーンで使われた音楽である。
さらに主人公が不祥事引退記者会見後の破滅を連想させるシーンに流れる「美しき青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス)はやはりキューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(1968年)の冒頭の宇宙空間のシーンで使った音楽だ。
また主人公の部屋のイメージも、「2001年宇宙の旅」のラストの白い部屋を真っ赤にしただけのように見えた。
真面目に映画を作ろうとする監督が、こんなことを平気でやってはいけない。
キューブリックへのオマージュなら、もっとうまくやってほしいものである。
ストーリーを簡単に書くと、美容整形でのし上がったモデル・女優の破滅譚である。
こんな三面記事は普通なら、まともな映画の題材にはならない。
できたとしたら、たぶん故伊丹十三だけだろう。
実際、伊丹映画のタッチをパクったシーンも少なからずある(事件を追う検事のシーンの多くなど)。
でも、伊丹映画のような面白さ(その多くは台詞や演出による)がないのは、監督の人間洞察力の差と映画教養の差であろう。
蜷川実花はやはり写真家なのだろう。
主人公と検事の対決シーンが、水族館の魚が泳ぐ大水槽の前というのは、写真家の発想だ。
ここは、両者のアップを様々なアングルで撮るシェークエンスが入らないと先ずダメ。
発想がスチール的なのである。
映画は一瞬の美を描く芸術ではない。
時間の芸術なのである。
(2012.7.31「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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