「windblue」 by MIDIBOX


ゴールデンウィークに3日間帰省した。

 私の実家は、大震災やら原発事故でこのところすっかり有名になった東北の福島市である。

 原発から50kmほど離れているから直接的な被害はないことになっているが、市内の小学校の校長をしている友人によれば震災後20人ほど児童が転校してテンテコマイだったという。

校庭の除染作業

校庭の除染作業

(福島県川内村)

 どこに転校したのかと尋ねると、大半が同じ市内の10kmほど北の小学校だというから馬鹿げている。気休めにもなるまいが。

 どうも日本人というのは、戦後に潔癖症がちょっと行き過ぎてしまっていて、少し病的なものを感じる。

 平和ボケ、健康ボケというのがかなり今の日本人をダメにしているのではないか。

 実家には齢80才を過ぎた老母がひとり暮らしをしていて、親不孝者の私は罪滅ぼしに正月、5月の連休、盆には律儀に帰省するのである(といっても東京から福島というのは新幹線で1時間40分足らず)が、年々歳々老母の愚痴を聞くのもなかなか難儀ではある。

 その老母が「ちょっと温泉にでも入りたい」という。

 福島市内で車で20分ほど北に行くと飯坂という鳴子や秋保(いずれも宮城県)と並び東北三大温泉と呼ばれた有名な温泉があるが、1日だけ宿がとれた。

飯坂温泉

飯坂温泉

 かつては東北有数の温泉地だったが、最近は源泉が相当枯れてしまったこともあり、さびれる一方だと聞いていたが、十数年ぶりに訪れてみると、その零落ぶりに驚いた。

 バブル崩壊後の温泉地というのは、熱海や鬼怒川の例をもち出すまでもなくほぼ例外なく苦境に立たされているが、ピーク時(1973年)に年間177万人の観光客を記録したという飯坂も現在はその半分以下の80万人程度だという。

 摺上川沿いに林立する旅館も大半が閉館していて、吹っさらしになったままだから、凄まじい光景が眼前に現出する。(※右の背景画像⇒)

 この風景を見るだけでも一度訪れる価値があると言いたいほどだ。「空白の20年」とよく言われるが、これほどそれを如実に訴えかける風景もないであろう。

 ただただ私は茫然と佇むばかりであった。

 中学生の頃、同級生に実家が飯坂で旅館を営む友人があり、よく泊まりがけで遊びに行ったものだが、その旅館も廃屋同然になっていた。あいつは今頃どこで何をしているのだろう。

  この摺上川にかかる十網橋(福島駅が始発の飯坂電車の終点飯坂温泉駅前)のたもとには松尾芭蕉の銅像(写真下)が立っている。

松尾芭蕉の銅像

松尾芭蕉の銅像

 「奥の細道」には、飯坂(飯塚と芭蕉は記している)に関する記述もあるが、あまりよいもてなしを受けなかったこともあり一句も詠んでいない。

 しかし、この現代の寒々しい光景を芭蕉が見たら、なにかしらの句を詠まずにはいられなかったのではないだろうか。

 「崩壊感覚」という野間宏の有名な小説があるけれども、私には一向どころかその四文字しか浮かんで来ないのだった。

                

(2012.5.17「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)


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