TV録画で「海よりもまだ深く」(2016年 是枝裕和監督 117分)を見る。11月2〜4日の三連休に見た4本の映画の中では断然良かった。
映画のキャッチコピーは「夢見た未来とちがう今を生きる、元家族の物語」。
あまり期待せずに見始めたので、最初のうちは小説家志望(15年前に島尾敏雄賞を取ったというのがイヤにリアル)で探偵事務所勤務のギャンブル好きのダメ男役を演じる阿部寛はミスキャストじゃないのかなと思って見ていた。
しかし次第に阿部寛はなかなかコメディセンスがあるのが分かってくる。
難点としては最近夫を亡くしてセイセイしている年金暮らしの母親役の樹木希林を始め登場人物がアドリブも含め喋りすぎるのである。これは脚本を書込み過ぎる是枝の悪い癖かもしれない。
最近公開の映画「真実」のメーキングフィルムでも、主演のカトリーヌ・ドヌーヴからさんざん台本の台詞カットを認めさせられていた。
映画は、淡々と何も起こらないままに進んでいく。ただのホームドラマかなと思うだろう。しかし、台風の夜あたりから尻上がりに人生の真実というのを鷲掴みにしていく。
喋り過ぎだろうがなんだろうが、言うべきことは言うよという感じで押して来る。
何も起こらない。しかし人間が生きる悲しさや楽しさがときどき露わになるのだ。脚本を書く監督だからできる力業である。
外は台風の風雨の中、TV通販で買った安物のラジオから流れる深夜放送でテレサテンの「別れの予感」がかかる。
その歌詞を捉えて、樹木希林が「私はこの歳になるまで、海よりも深い愛なんて感じたことないよ」と息子の阿部寛にぽつりと洩らす。(上掲写真)。
これが映画のタイトルになるのだが、どうかと思うが、まあ許せる範囲かな。是枝裕和はテレサテンファンのようだ。
2人以外では、意外にも真木よう子がシラけた阿部寛の元妻を好演していた。素でやっているだけかもしれないが。
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他に探偵事務所所長のリリー・フランキーや質屋のミッキー・カーチス、団地でクラシック音楽の鑑賞会を開いている怪しげなセンセイの橋爪功などはさすがに巧い。
その鑑賞会の曲はなんとベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番作品131。
その鑑賞会に参加している樹木希林がすれ違った橋爪功に「先生、今度はベートーヴェンの131でしたね?」と尋ねる。凄いセリフだ。クラシックファン以外には謎だろう。
是枝監督はクラシック音楽が好きなんだろうなあ。この深刻な曲を映画に使ったのはジャン=リュック・ゴダールだけのはず(彼の映画「パッション」だと思うが不確か)。
樹木希林のセリフに死やあの世という言葉が多いのは、もうこのあたりから私生活と映画の役の境い目がなくなってしまったからなのだろう。最初煩わしいが次第に説得力を帯びて来るから大したものだ。
私はカンヌ映画祭でパルムドールを獲得した是枝の「万引き家族」を見ていないが、この「海よりもまだ深く」は、是枝裕和(1962年6月6日生まれ57歳)が只者ではない名監督であることを知らしめるに十分な傑作だと思う。
是枝と小津安二郎との共通点がよく言われる。特にこの「海よりまだ深く」は似ている。小津の現代版みたいな感じ。
でももっと是枝はグダグダで世俗の垢にまみれている。伊丹十三や森田芳光なんかにも影響されているのじゃなかろうか。
阿部寛と真木よう子の一人息子を好演した吉澤太陽。是枝監督は子役の扱い方が上手いようだ。これも強味にしている。
撮影に使われた東京都清瀬市の旭ヶ丘団地は是枝が実際に9歳から過ごした場所らしい。言わば私小説的映画だ。貧しいとは言わないが、決して富裕な人々が住む場所ではない。団地までは駅からバスに揺られて行く。
私も同市に隣接する場所(東京都東村山市)に30年以上住んでいるから、このあたりの心象風景はよく知っているつもりだ。白状するとテレサテン、ベートーヴェンの作品131も私の偏愛するアイテムではある。
それはともかく、久しぶりに日本映画で心が動いた。
(2019.11.8「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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