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街を歩くと、「忘年会の予約承ります。今なら20%お得!」みたいな案内が目につくようになった。

 今年の振り返りにはちょっと早いが、気になったことを備忘録代わりに書いておく。

 もう若い記者は、ソニア・リキエルというデザイナーの名前さえ知らないが、売りに出されていたソニア・リキエル社に、買い手がつかず、同社は今年8月に解散してしまった。

在りし日のソニア・リキエル

「ソニア・リキエル」ブランドの1980年代の飛ぶ鳥を落とす勢いを知る者としては、全く信じられない事態である。

 1980年代、日本では、西武セゾングループ傘下のエルビスが輸入・販売を行っていたが、「アルマーニ」が同社を抜けたあとは、同社の大黒柱で、軽く年商100億円は日本だけで売り上げていた。

 ソニアはニットの女王と呼ばれた。ニットでシャネルに匹敵するスタイルを作り上げたという評価があった。デザイナーとしても一本筋が通っていて、ソニア、アニエスべーことアニエス・トゥルーブル、川久保玲の3人は反骨のデザイナーとして一括りにできるような独特な存在感を持っていたデザイナーたちだった。

 フランス政府から、芸術文化勲章をもらい(1983年)、「ソニア・ リキエル通り」という通りがパリ市内に出来ても(2018年)、ブランドそのものが消滅してしまっては、ソニア・リキエルも浮かばれまい。

「ファッションは文化」だといくらフランス政府が叫ぼうがこんなものである。

ソニア・リキエル

 最近では「ランバン」「カルヴェン」といったブランドが中国資本に買われていたから、ソニアも同様な動きになるのではないかと見ていたが、そうはならなかった。何故だろう?

「ランバン」や「カルヴェン」が「ブランド」になっていたのに対して、「ソニア・リキエル」は創業デザイナーが亡くなったのにもかかわらず、いまだにデザイナーブランドであったからではないのだろうか。

 例外もあるが、創業デザイナーが死去してそのDNAが上手く移植されて、「ブランド」(そのほとんどはラグジュアリーブランド)になるのであるが、「ソニア・リキエル」の場合は、どうもその移植に失敗したようだ。ラグジュアリーブランドになり損ねてしまったのだ。

 娘のナタリーが悪いのか、はたまたナタリーと結婚していた(後に離婚)ブラウンズ・ファミリーのシモン・バースタインが悪いのか、それは分からないが、とにかくこういう個性的なデザイナーブランドはDNA移植が難しいのだ。

 ラルフ・ローレンやアルマーニのビジネスでそんなことは起きないけれども、ソニアクラスのブランドでは往々にして起こりうるのだろう。

 やはり、ブランドが壊れてしまわないうちに大手コングロマリットの傘下に入ってしまうのが得策だということになってしまうのか。彼らは百発百中ではないけれども、そのDNA移植のノウハウを持っていることは間違いない。

 それにしても、創業デザイナーのソニアが亡くなったのが2016年8月25日。まだ3年もたたないうちに、手も付けられないほどに赤字が積み重なって、再生不可のレベルまで追いつめられるものなのだろうか。

 たしかにソニア・リキエルが生きていた時代から同社の不振は始まってはいたけれども、何度かのリストラを経たが、昨年2018年12月のソニア・リキエル社の業績は売上高3500万ユーロ(約42億円)で純損失が3000万ユーロ(約36億円)。これは企業の体をなしていない。買い手がつかないのも無理はない決算だ。

 最高経営責任者を6年と務め昨年7月退社したエリック・ランゴンやクリエイティブ・ディレクターのジュリー・ドゥ・リブラン(2014年5月に就任し今年3月退社)の責任なのだろうか。どうもそうではなさそうである。

ジュリー・ドゥ・リブラン

 その恐ろしい答えは、ブランドコングロマリットやファンドの傘下以外のデザイナーブランドは、この時代で生存するのは至難の業になっているということだろう。

 他人の資本を入れずに、オウンファイナンスしているデザイナーブランドで上手く回っている存在というのを探すのが本当に難しくなっている。

 これは、実はファッションの危機以外の何物でもない。デザイナーブランドは、まさしくファッションというものの本質だからである。

 ちょっと心配になってくる。行き詰まるデザイナー企業がこれからも後を絶たないのではないだろうか。

                

(2019.11.1「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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