新国立劇場でマスネのオペラ「ウェルテル」を観た(3月21日)。
ドイツの文豪ゲーテの小説「若きウェルテルの悩みを」のフランス語の台本にフランス人作曲家マスネが作曲したオペラだ。
人妻シャルロットに求愛したウェルテルが拒絶されてピストル自殺するというあまりにも有名なストーリーだ。
今回の聴きどころは、世界的に現代最高のメゾ・ソプラノのひとりとして評価されている藤村実穂子がヒロインのシャルロットを初めて歌うことだろう。
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新国立劇場オペラ「ウェルテル」第一幕
(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
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2002年から、ワーグナー・オペラの総本山であるバイロイト音楽祭に9年連続で出演するという快挙を成し遂げた藤村は、メゾ・ソプラノという声のためか地味な印象が強い。
たとえば三浦環、東敦子、林康子などのように欧米で話題になった日本人ソプラノ歌手などは、例外なく「蝶々夫人」がレパートリーだったが、藤村の場合はそういう日本人としてのアドバンテージを抜きにして成功した真の実力者だ。
バイロイトでは、フリッカ、エルダ、ワルトラウテ、ブランゲーネなどを歌い、ついに2008、2009年には「パルジファル」のヒロイン(クンドリー)を歌った。
新国立劇場では、ワーグナーの他では、エボリ公女(ヴェルディ「ドン・カルロ」)、イダマンテ(モーツァルト「イドメネオ」)などを歌い、評価が高い。
これまで、私にとって藤村は、フリッカやエルダというワーグナー・オペラでは知性の勝ったちょっと冷たい女性という役を得意とするメゾ・ソプラノという印象が強かった。
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新国立劇場オペラ「ウェルテル」第二幕
(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
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その藤村が50歳を過ぎて今回初めて挑んだのが、フランス語オペラ「ウェルテル」のシャルロット。なるほど、フランス語歌詞だが、メゾ・ソプラノの実力者が選ぶヒロイン役としてはよく考えられた選択だと思う。
小説と違って、この「ウェルテル」というオペラの本当の主役は、ウェルテルではなくシャルロットという見方はできないでもない。
藤村の役作りは婚期を逸したオールドミスで、年の離れた弟や妹の世話をよくする心根の優しい、地味だけれども実はなかなかの美人という感じ。
とはいえ、正直に言うと、第1幕、第2幕は、ちょっとビジュアル的にどうかなあと思えないでもなかった。「ウェルテルよ、いくら何でも歳が離れすぎだろう」という感じだった。
ところが、第3幕。シャルロットが歌う有名な「手紙の歌」。
正直、このレチタティーボ付きのアリア、私の音楽的教養が低いためか、カラスを聴いても、ガランチャを聴いても、ピンと来なかった。
それが、藤村の歌う「手紙の歌」を聴いて、ああ、そういう歌なのかと初めて納得させられた。こんなことは滅多にない。歌の構造をきちんと把握している歌唱だからだろう。
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新国立劇場オペラ「ウェルテル」第三幕
(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
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それにその声。このアリアは、実はウェルテルをずっと愛していたことを告白する歌だが、決して浮ついたところのない、まるでボルドーワインの古酒のような落ち着いた色合いの、しかし思いの強さを秘めた歌唱だった。
やっと、藤村の役作りというのが、分かり始める。
第4幕はまるでマスネ版の「トリスタンとイゾルデ」だが、藤村の歌は思いの強さはあるが、理性が働いてそこには一種の諦観が流れている。素晴らしい歌唱である。どうも私は藤村を過小評価していたようだ。
藤村のシャルロットのことばかり書いたが、ウェルテル役のサイミール・ピルグ(アルバニア人のテノール)も好演。ポール・ダニエル(イギリス人)指揮の東京交響楽団も素晴らしかった。
この劇場の1月の「タンホイザー」の公演でもこの楽団の特に木管パートの秀逸さを書いたが、今回も同様。
この木管パートにシンクロするように金管、弦楽器も表情豊かな出来栄え。この楽団の最近のレベルアップは半端ではない。
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新国立劇場オペラ「ウェルテル」第四幕
(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
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また、この劇場初登場の指揮者も決して中庸をよしとせず、情け容赦なく音楽を彫琢するタイプで聞きごたえ十分。
とにかく、聴き終わったら、フラフラ。重苦しい題材で衝撃的な結末のオペラではあるけれども、いつもの殺伐とした聴後感と違って浄化された気分だったのは藤村の考え抜かれた歌唱のせいではないだろうか。
現存する日本人音楽家としては、小澤征爾、内田光子(ピアノ)などと並んでクラシック音楽の世界で最も卓越した境地に到達した音楽家の至芸だ。
藤村はドイツ在住だが、来日公演の際は万難を排して駆けつけたいと思った。
(2019.4.9「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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