2月5日(火)から2月10日(日)まで、イタリア・ヴェニスへ出張した。
トルコ航空の飛行機で2月5日の2140に成田を出発。6日早朝0425にイスタンブール空港着。その4時間15分後の0840の便まで空港内で待機。この4時間がキツかった。
2016年6月に自爆テロで48人がこの空港で死んだが、人種の坩堝みたいなイスタンブール空港で4時間待機はなかなかスリリングなのだ。
0840の便は定刻の6日0925にイタリア・ヴェニスのマルコ・ポーロ空港に到着。仕事でイタリアには10回ほど来ているが、なんとヴェニスは初めてなのだ。
空港から水上タクシー(モーターボート)でヴェニス本島へ。「水の都」或いは「海の都」というが、ヴェニス本島(人口約6万人)には車も自転車も走っていない。信号もない。
空港からボート繋留地まではかなりあるが、ずっとヴィヴァルディの合奏協奏曲が流れていた。
ヴィヴァルディはヴェニス本島のピエタ教会の司祭をしながら膨大な量の作曲をした音楽家だ。
空港から水上タクシー(モーターボート)に30分も揺られるとヴェニス本島の中央を流れる大運河(カナル・グランデ)に入る。
ロジェ・バディム監督のサスペンス映画「大運河」(1957年)というのがあった。
音楽はMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)が担当していて、そのサウンドトラックをまとめた「黄昏のヴェニス」というレコードのジャケットの絵を思い出した。
映像では知っていたが、早くもこのヴェニスという奇妙な街の虜になっていた。
大運河からその支流に入る。目的地のホテルまで低速で進む。小さな橋が(400ほどあるらしい)かかっているが、その下をくぐっていく。
ドライバーは「ザ・ノース・フェイス」でバッチリ防寒。
日本と寒さは同じぐらいだが、とにかく乾燥して唇がすぐ乾く。リップクリームは必携。
川に面しているホテルには水上タクシーやゴンドラが止まれるような船着場がある。
(※右の背景画像)⇒
この他の交通手段は、ヴァポレットと呼ばれる大型の水上バスがあるが、これは大きいので大運河と海しか移動しない。
ヴァポレット(水上バス)で大運河を周遊してみた。大運河には、4つの橋しかない。写真はそのうちで一番有名なリアルト橋。
オッフェンバッハのオペラ「ホフマン物語」で第4幕ヴェニスの高級娼婦ジュリエットが登場するのはこのリアルト橋という設定。
世界で一番有名な広場と言われるサンマルコ広場。
ヴェネチア共和国を降伏させたナポレオンは「世界で一番美しい広場」と評したという。
奥のドームがビザンチン様式で建てられたサンマルコ寺院。
下はサンマルコ寺院の内部。
シーズンオフということになるのか、行列せずに中に入れた。
ところで、本当に出張なの?とそろそろ言われそうなので一言。
ヴェニス本島から水上タクシーで30分ほどのサン・セルヴォーロ島にあるヴェニス国際大学で「脱炭素社会推進による異常気象回避の道」というシンポジウムが2月7日、8日の2日間開かれたのを取材した。
昨年10月にも、海面の急激な上昇でサンマルコ広場が水浸しになった映像がTVで放映されたが、こうした異常気象が温室効果ガスによるものであり、その原因である二酸化炭素削減をいかに急ピッチで進めるかが、シンポジウムの目的。
世界で一番美しい街でかつ水没の危機にあるヴェニスこそ開催地にふさわしいとヴェニス国際大学が旗を振って行っているのだ。
上の写真は大学の入り口だ。
下は「脱炭素社会実現推進による異常気象回避への道」のシンポジウムの様子。
シンポジウムがあったサン・セルヴォーロの船着場から、リド島を望む。
あの映画「ベニスに死す」の舞台になった島。そしてヨーロッパ三大映画祭のひとつベネチア国際映画祭が毎年開催される島だ。
またホテル・デ・バンは、あの「ベニスに死す」(1971年 ルキノ・ヴィスコンティ監督)の舞台になったホテル。
初老の作曲家がこのホテルで出会った美青年タジオに焦がれ死にする砂浜がある。
ここまでが前半。後半はヴェニスのグルメ&エンターテイメントなどを紹介。
(2019.2.21「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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