新国立劇場でワーグナーの楽劇「ワルキューレ」を観た(10月5日)。
休憩2回(40分と35分)を入れて5時間半の長丁場だが、自国のオペラパレスでこんな素晴らしいワーグナー上演を体験できる幸福をしみじみと感じた。
オペラパレスが芸術監督に2014年9月から飯守泰次郎(76歳)を起用したのは、キャリアの絶頂期を迎えた飯守にワーグナーの主要オペラを指揮させようという狙いがあったからだろうが、予想をはるかに上回る大成果を生んでいる。
オーケストラの東京フィルからまさにワーグナーの音を引き出している。「特訓」の賜物だろう。
私が知る限り、ティーレマンなどのスター指揮者を別にすれば、飯守はマレク・ヤノフスキと並ぶ現代を代表するワーグナー指揮者と言っても過言ではないだろう。
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第3幕問題の屍姦シーン
(撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場)
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今回は、加えて歌手陣が素晴らしい。このオペラパレスの常連で第2幕でフリッカを歌ったエレナ・ツィトコーワは毎回感心させられる名歌手だが、今回は彼女さえも若干見劣りするほど、大編成のオーケストラを突き抜けて絶唱する歌手ばかりという贅沢さだ。
そのツィトコーワも結婚の神フリッカとして「退屈」と評される第2幕第1場の神々の長ヴォータンとの夫婦喧嘩をその美貌(現代風のゴージャス・マダム風の出で立ちで登場)と演技で楽しませてくれた。
なぜ結婚の神フリッカはこんなに美しいのにヴォータンとの間に子どもがいないのかを十分納得させてくれる演技だった。
神々の長ヴォータン(グリア・グリムスレイ)、ジークムント(ステファン・グールド)、ブリュンヒルデ(イレーネ・テオリン)の3人については、現在それぞれの役のトップクラスであろう。
特にテオリンの弱音表現のすばらしさに舌を巻いた。グールドが初めてジークムントを歌うというのは意外だが、その双子の妹として登場するジークリンデを歌ったのがジョゼフィーネ・ウェーバーだ。
愛し合ってしまう双子の兄妹ということで、これはどの公演でもキャスティングに苦労するのだろう。グールドに合わせたのかポッチャリ系の可愛いジークリンデなのだが、声も歌も文句はない水準だ。
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第1幕傾斜舞台で双子の兄と妹が愛し合う
(撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場)
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さて、このプロダクションは亡きゲッツ・フリードリヒ(1930~2000)が、晩年(1997年)にフィンランド国立歌劇場で制作したものだが、前世紀の様々な演出の良いとこどりの折衷型と言っていいだろう。
古いと言えば古いが、第3幕冒頭で戦死した英雄を神々の長ヴォータンが住む天上のワルハラ城に運ぶヴォータンの娘たちが戦死した英雄の死体を屍姦するシーンにはドキリとさせられるなど、一筋縄ではいかない。
大団円のレーザー光線を使った大スペクタクルは誰もがその美しさにウットリするだろう。5時間の登山の末に山頂から眺める下界の美しさのようだ。
また間違い探しゲーム的に、後にジークムントと決闘するフンディングが猟銃を携えていたり、彼の家の壁には埋め込み式の照明スイッチ、天井には電気照明があったりする。
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第4幕神々の王ウォータンは自分の命令に逆らった
娘ブリュンヒルデを魔の炎に閉じ込める
(撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場)
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前述のフリッカの現代風のゴージャスマダム風出で立ちも謎ではある。オーソドックスな演出に変化をつけるフリードリヒ特有のジョークだろう。私はこういうのが嫌いではない。ただし衣裳には疑問が残る。
テコンドー選手みたいなブリュンヒルデ、ネグリジェに着替える前のジークリンデの召使いみたいな服装とヘアスタイルなど役者が可哀想に思えてくる。
可哀想と言えば、傾斜舞台が多用されたために、役者が後ずさりするシーンが少なからずあった。
ともあれ前日に十分睡眠をとっていれば、ワーグナーの音楽の素晴らしさ、神々の苦悩を描くという本当の天才しか考えつかないような発想の凄さに浸ることができるだろう。
12日(水)14時~、15日(土)の14時~、18日(火)17時~の3公演がまだ残っている。
余計なお世話だが、11月にウィーン国立歌劇場が来日して東京文化会館でこの「ワルキューレ」を上演するが、目の玉の飛び出るようなチケット代で(この新国立劇場の2.5倍!)、すでに安い席は売り切れという。
芸術に「割安」などという概念は存在しないが、それにしても、こちらのお得感が際立つ。
(2016.12.11「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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