ファッション・カメラマンのビル・カニンガムが6月23日に脳卒中で倒れ、2日後に入院していたニューヨークの病院で亡くなった。87歳だった。
齢を重ねるにつれ私の記憶力は衰え、また人間の平均寿命がどんどん伸びているから、もうとっくの昔に鬼籍に入っていたと思っていた人物の死亡記事が出ると、「あれ、この人まだ生きていたんだ」などという失礼極まりない感想をもらすことになる。
今年1月7日に92歳で亡くなったデザイナーのアンドレ・クレージュの訃報などはそんな感じではあった。現役を退いて死ぬまでが長すぎると往々にしてそういうことになりがちではある。
しかしビル・カニンガムはまさに現役のカメラマンとして倒れ、逝ったのであろう。
「あのビル爺さんも死ぬんだなあ」と思うとジーンときた。
幸いなことに2013年に日本で公開されたドキュメンタリー映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」がじつに良くできていて、ビル爺さんにまた会いたければ、この映画を観ればいい。
私は、ビル爺さんからファッション・ジャーナリズムとは何かを教えられたと思っている。
ニューヨーク・コレクションやパリ・コレクションの会場で、ビル爺さんを何度か見かけたことがある。
「あの清掃夫みたいな青い上っ張りを着たカメラマンは何者なの?」。たぶん、初めてビル爺さんを見た者はだれもがそう思っただろう。
「ファッション好きの清掃のお爺さんが仕事の合間に孫のためにファッションショーを撮影しているんだろう」とも。
ビル爺さんは結婚していないし子供もいないから孫もいない。青い上っ張りはビル爺さんのトレードマークになっている仕事着だ。
フランス・ファッションへの長年の貢献を評価され、2008年にフ芸術文化勲章オフィシエを受章することになったビル爺さんが授賞式に着て行って大喝采を浴びたのもこの青い作業着だった。
ビル爺さんの主戦場はコレクション会場ではなく、「街」だった。愛用の自転車でニューヨークの街を走り、ファッションを素敵に着こなしている人々を撮った。
モデルやセレブではなく主に普通の人々を撮った。要するに「自腹」で洋服を買っているのでなければ、本当のオシャレではないと考えているのだ。
このあたり、耳の痛いマスコミ関係者がいるのではないだろうか。昔、プレス向けのセールで爆買いして、それをネットで販売していた某誌編集長なんていうのがいたぐらいだから。
ビル爺さんはファッション業界のパーティも取材したが、ここでもその取材姿勢は徹底していた。
「ワインはおろか、水一杯だって飲んだことがない」。水一杯飲んでも、「公正」を保つことができず好きな表現ができないと考えているのだろうが、ビル爺さんは「自腹で食べてから取材に行くだけだよ」と答えている。
パーティで意地汚く飲食する小生などは、このビル爺さんの言葉に衝撃を受け、しばらくの間パーティでの飲食を慎んだほどである。
そうした姿勢や人柄もさることながら、ビル爺さんが評価されているのは言うまでもなく写真そのものの美しさである。
特にその写真に漂う詩情が素晴らしい。ハーバード大学を中退して帽子のデザイナーをやっていたという経歴から察することのできる、優れたファッション・センスが写真に反映している。
映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」には、現在世界で最も有名なファッション編集者である「ヴォーグ」編集長のアナ・ウインターも登場し、「私たちがオシャレするのはビルに写真を撮ってもらうためよ」なんて褒め言葉を言っているが、なんとも空虚に響く。
アナだって、ファッションが好きで始めた仕事だったろうが、今では巨大なファッション・ビジネスの一端を担う存在として、もう好きとか嫌いで仕事をしてはいないだろう。
ビル爺さんとアナは2人ともファッション界の最大級アイコンではあるが、2人を隔てている壁はとてつもなく高い。
青い上っ張りで愛用の自転車に乗ってニューヨーク」を走り回るビル爺さんにまた会いたくなった。今夜はDVDを観ることにしよう。
(2016.7.28「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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