新国立劇場でオペラ「沈黙」の初日を観た(6月27日)。遠藤周作(1923-1996)の同名小説を原作に、松村禎三(1929-2007)が13年をかけて作曲し、1993年に初演されている。
日本人が作曲したオペラとしては、團伊玖磨が作曲した「夕鶴」(1951年完成、1952年初演)に並ぶ傑作という評価が定着している。
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オペラ「沈黙」のファーストシーン「火磔」
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
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私が「沈黙」の舞台を観るのは今回が初めてだし、松村禎三の音楽に詳しいわけでもないが、このオペラが紛れもない傑作なのはすぐにわかった。凄まじいばかりの迫力と緊張感に圧倒され続けた。
親しみやすい旋律があるわけではないし、アリアと呼べる歌も2つあるぐらい。オペラに心地よさを求める聞き手は失望するかもしれない。旋律化した言葉=思考が大オーケストラと対峙しながら、宗教と統治、信仰の自由、キリスト教と日本、踏絵、棄教、裏切りなどのオペラが取り上げるにはあまりにも重いテーマを聴衆に投げかけてくる。
特に大団円の宣教師ロドリゴ(小餅谷哲男が入魂の歌唱と演技)の棄教のシーンでは客席からすすり泣きの声も聞こえていた。松村禎三はとんでもない題材(原作)に巡り合ってしまったものだ。
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村で布教を行う宣教師ロドリゴ
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
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これは一般的な意味でいうオペラなのだろうか。ロドリゴ受難曲と呼ばれるべき作品なのではないか。
やはり救いのないオペラをこの大劇場で観たのを思い出した。2012年10月公演の「ピーター・グライムズ」だ。しかし「沈黙」が描くロドリゴの苦悩はさらに作品という枠をはみ出すほどだ。
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ついに捕らえられる宣教師ロドリゴ
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
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ひとつ残念だったのは、終演後指揮者のタクトがまだ完全に降ろされないうちに拍手があったことだ。あそこで拍手をする聴衆の気持ちがわからない。
さらに若干控え目ではあるがブラヴィー、ブラヴォーの声。この作品の重さを本当に受け止めているのだろうか。
私はヘトヘトになって、とても拍手をする気になれなかった。
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棄教に追い込まれる宣教師ロドリゴは踏み絵を抱きしめる
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
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今回の公演は2012年2月の再演(演出:宮田慶子)で、指揮者(下野竜也)も同じだが、会場は、中劇場から大劇場(オペラパレス)に変わった。
会場変更の影響はわからないが、オーケストラ、合唱、歌手ともに迫真と繊細さを併せ持つ出来栄えでこれ以上望むべくもなかった。2014-15年シーズンの締めくくりにふさわしい上演と言えよう。
特に今シーズンを通じて東京フィルの充実には心底驚かされたが、その総決算のような演奏だった。同時に下野竜也の指揮者としての恐るべき力量を再認識させた。
(2015.7.4「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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