プッチーニの「ラ・ボエーム」(1896年)、「トスカ」(1900年)、「蝶々夫人」(1904年)の三大傑作オペラに比べると、「ラ・ボエーム」の前作「マノン・レスコー」(1893年)の上演回数は格段に少ない。
確かに出来栄えは三大傑作に比べ落ちる。私のようなメロドラマ嫌いでも「ミミは可愛そうだなあ」(「ラ・ボエーム」)とか、「トスカは男前な女だなあ」と感心したり、「ピンケルトンはなんて非道な男だろう」と腹を立てたりする。
(※右背景「パリの富豪ジェロントの愛人になったマノンと邸宅に忍び込んだデ・グリュー(第2幕)」提供:新国立劇場 撮影:寺司正彦)⇒
しかし、「マノン・レスコー」に関しては、アメリカの荒野で野垂れ死にするヒロインのマノンを可哀想に思うわけでもないし、残されたその恋人役のデ・グリューに同情するわけでもない。
ある意味ではこの「マノン・レスコー」はプッチーニの終生のテーマ、つまり「決して成就されることのない愛」を「純粋」に描ききった「快作」ではないのかという気までもしてくる。
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流刑になったマノンをニューオリンズまで追ってきたデ・グリュー(第4幕)
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
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そこには、カルチェラタンの貧乏学生の反骨精神(「ラ・ボエーム」)もなければ、自由主義者とこれを弾圧する権力者の抗争(「トスカ」)があるわけでもない。
ましてや東洋の国を蹂躙する米国人と日本人という対立の図式(「蝶々夫人」)があるわけでもない。ただただ贅沢と男から愛されることの好きな美貌の女マノンを騎士デ・グリューがニューオリンズまで追い続ける話なのである。
その単純さはB級アメリカ映画のようでもある。その単純さを救うのは、一にも二にも歌とオーケストラの響きの魅力だ。かえってそうした社会学的爽雑物がない分、プッチーニの音楽を「素」で楽しめるかもしれない。
例えば2014年4月のバーデン=バーデン・イースター音楽祭でサイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルがこの「マノン・レスコー」を取り上げて識者を驚かせたが、ラトルもその「素」の音樂美に惹かれたのかもしれない。
小澤征爾もウィーン国立歌劇場音楽監督時代の2005年にやはり「マノン・レスコー」を取り上げている。
三大傑作オペラと違ってあまり演奏されない分手垢が付いていないということもあるが、この4幕オペラはある意味では4つの楽章をもつ声楽付き交響曲のように聞こえなくもない。私もこのオペラのそんなところが実は好きだ。
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荒野で野垂れ死にするマノンと生き残るデ・グリュー(第4幕)
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
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さて、新国立劇場で「マノン・レスコー」の初日(3月9日)を観た。実はこの公演は11年3月に行われるはずだった。しかし、忌まわしき東日本大震災のために中止。それが4年ぶりの復活上演となったもの。
主要キャストはそのままに、指揮者だけがリッカルド・フリッツァからピエール・ジョルジョ・モランディ(ミラノ・スカラ座の元首席オーボエ奏者)に変わっている。
このモランディ指揮の東京交響楽団が素晴らしかった。どこかイタリアの歌劇場にきているのではないかと錯覚するような出来栄えだったのだ。
早めのテンポでグイグイと進み、楽句の隈取りがこれでもかというぐらいに鮮やかで、しかも歌いに歌い、ここぞというフォルテは容赦のない強打。
いやあ、よくぞここまであのおとなしい東京交響楽団を仕込んだものだと唖然とするばかり。新国立歌劇場のプッチーニとヴェリズモは全てお任せしたいというぐらい。
主役のマノン(スヴェトラ・ヴァッシレヴァ)はヒステリックな高音はともかく、低音がかなりキツかったが、まあ美貌とスリムボディに免じて及第点。恋人役のデ・グリュー(グスターヴォ・ポルタ)は、すごい声量で押しまくって痛快だったが、20kgは減量が必要かと。
脇役ではマノンの兄レスコー(ダリボール・イェニス)の達者な歌と演技、富豪ジェロント(妻屋秀和)のコミカルな演技が楽しませてくれた。
プッチーニも三大傑作ばかり聞かないで是非この出世作を堪能していただきたいものである。
(2015.3.13「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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