<soul-100> 夜明け前
まだ仄暗い埠頭に立つ明は、濃い闇が既に薄く青さを取り戻しているコンクリートの岸壁へおぼつかない足を向けた。
カモメだろうか。鳥の鳴き声が潮の匂いも運んで鼻を擦る。
気が付けば全てを取り仕切っているのは、不規則で流動性のある、寄せては打ち付ける波の音だった。
日常が、一気になだれこんでくる。
激しく波打つ音に、閑散とした気配を含んだ青みがかった濃い世界は、東の際からしらじんで、薄い水に溶いたような橙色が滲んでせり上がってくる。
西の薄い群青を月間に残しながら、壮大な空は水面を白く浮きたたせる。
明は、心許ない今までの意識の波より、はっきりと血の巡った頭は冴えて、姿は浮き彫りになっていた。
しぶきが光を敷き詰める速さで反射する。
俺のプライド・・・滲んでも輪郭をもってしまった答えは、違えようもなく見えてくる。
一人でも立っていられると、うそぶいた虚勢。
納得ずくで立つ人間のそれとは、腰の入り方が違う。足の運び方も。そんなんだからここに導かれたのだろう。
夜明け前の天幕は夜と朝の狭間を調和させ、潮を耳に反響させながら、明はようやく自分を紐解いた。
あんな風にはできない。周りの幸せを横目で睨んで、自分には足りないものだらけで世の中は成り立っている、そう思いたかった。
見ないふりを決め込むと、周りの判断と自我の間には誤差が生じる。だから余計、ちゃんとした社会人、そんな免罪符を張り子の要領でペタペタと貼って、なんとか形があるものに見せかけた。
だから芯から辛くさせたのは、がんじがらめのひがむ状況でもなく、周りを見ないつもりが、どこかで引き寄せたもの。
自分で自分を無視してた。
明は一つ息を吐く。
脳だけで生き続ける人間はいない。体と脳が同一なら、あの幽霊たちが意識だけの残像にしても、生きていた頃の姿を持ち合わせたのも納得がいく。あいつらよりも俺は・・・
いつも社会を舐めたふりをして、息巻いて誇示してきた。だから彼女にすがった。
彼女への執着は愛情以前に、逃避だったのかもしれない。本当は明には彼女の一切がわからない。
明は傷付くのを回避する方法など知らずに育った。だから本音は、本心は・・彼女にも、ズタボロにされたっていい。例え先が地獄でも、彼女の混沌としたものに踏み込ませて欲しかった。彼女を知りたかった。
だがじくじたる傷を抱えて必死に求めたのは、自分さえ気付かなかった、彼女を理解しようともしない欲しがる男。朧な自分。
バレバレだったんだろう・・・
知らぬ間に明は蹲って膝の中に顔を埋めていた。
涙は出ない。自分でもびっくりするほど警戒して生きてきた。蓋さえ開けてしまえば、ふつふつとしたものが明にだってあるというのに。
埋めた朝を拒否する膝の間の暗闇の中に、先ほどのまばゆさが蘇る。あの連中は・・・俺のことなんて何一つ知らない。なのに・・・
明は潮の薫る澄んだ空気がすっと自然に鼻を通ったのを感じた。今は目が覚めても、明日はわからない。
後悔ばかりが人生。だが人生、悔やまないで幕を閉じるのは寂しさでしかないだろう。十勢・・・いいじゃねーか悔やんでも。心の中で唱えた。
夢を見ていた彼女の存在が、すっかりとまではいかないまでも、ビリビリしたものから悲しく淡い感情にすり替わり、とめどなく消えて行く。
俺には他人を否定するほどの強さはない。ずっと何かを持っていると思い込みたかった。手にしていないものを信じるのは容易い。架空だから。
だが実体を求めるなら、俺はひたすらにやっていくしかない。あいつらのように。
自分に告げた明を、疲労困憊した眠気が一気に襲い、しゃがんだまま意識が飛んだ。
【2018.1.24 Release】TO BE CONTINUED⇒