先日他界した父は
一言で言えば、
正に苦労人。
耐えて耐えて
母と二人
苦労して苦労して
生きて来たのも不思議なほど
堪え忍んで我慢して
その上で十二分に人として
まっとうな
家族を決して捨てなかった、
弱さと強さを両極端に持ちながら、
いつも世界や
宇宙
自然や
社会、
大きなものにばかり目を向けていた人でした。
父の死は病死でしたが
殆ど事故に近い、突然の事でした。
急過ぎて、始めは事実を認識できずに居た程です。
母を失って、
やっとこれからの事を考えはじめられた時に
父の死を迎えて
どこまで傷めつけられれば
いいんだろう
正直そう思う思いが無かったわけではありません。
世界は何も変わってないのに
地獄はこれで最後でしょうか?
そんな風に思う時もありました。
淋しくて
ウサギだったら淋し死にするくらい
淋しくて
生きてる内には気付きもしないで
守られていた強さに愕然とする
そんな日が続き
その淋しさが
母を亡くした
まんま父のものだったと
思い行きあたると、
辛い思いが込み上げてなりません。
後悔なんてすればするほどできてしまうものです。
多分母の時よりも、できなかった事の大きさが
半端なく、
もうちょっとのことが
居る間は難しかったのが事実です。
ほんのちょっと、
もうちょっと
どうしてもそう考えてしまいます。
酷い仲の時もありました。
でも居てくれたから
居ればそれだけで安心して
解決してきたのです。
母の時もそうでしたが、
いつぐらいからでしょう
散々毎日必ず泣いて
泣き疲れて、
知らぬ間に
涙があたたかくなってきたのは。
確かに母と父は居て
その精神は私達に息づいている気がしてなりません。
本も内容も映画も知りません。
ただタイトルだけが鮮明に浮かび上がりました。
朝鮮の言葉だと聞く
血と骨。
あらすじを確かめて見ても
真逆を行く、
まじめと優しさと弱さと
人としての道徳と信念に生きた父を
失って初めて
私の
血と骨を
身をもって知りました。
母は血を、
父からは骨を
精神の在り方として
受け継いだのだと痛感したのです。
そうやって
父の精神と魂でできている
この私の
生きざまも一つ、
必ずこの先も見せるから。
そんな事を49日の法要の時に感じていました。
「アハハオホホじゃ(笑ってばかりじゃ)生きらんに」
その口癖の父の告別式では
皆が人生の末路
先を感じ
その上で
泣き笑ってくれました。
時折
いつも持論をぶちまけて
そのくせ意見を伺う様に
覗きこんで見た眼鏡の奥の
シャイで不器用な父の笑顔が
フラッシュバックしてきます。
絶望ばかりして
やっと景色が見えて来ると
一人眺めた
夕刻の
落ち着いた青に浮かぶ月に
宇宙を感じて
そこにいるんですか?
漂ってますか?
そんな事を思ったりします。
ただ一つはっきりと
父が、淋しくとも、これからの展望を考えて
生きていた事だけは、救いの様な気がします。
二人は、苦労したからこそなのか、
生きると言う事を、限りなくよくわかっていて
それに立ち向かって受け入れて生きて来た二人でした。
だからその支えを失って
今は体一つ、この身一つで
希望を上手く描けない私にも
父の思想や意識
世界観が、この先も通じて行く事でしょう。
つながる
んではなく
通じて
居たのです。
そしてそれは私が生きてる内は、
変る事は無いでしょう。
父が残したものが、私の中で
今後どう形作って、
どう評価されるのか
私は挑み続けるしか術を知りません。
こつこつ
こつこつ
一足飛びにはできないので
こつこつ
こつこつ
自分の手で、
足で
父と母から貰った命で
今後を紡いでいきます。
死を目の当たりにして、
どうしても悲しみで言えなかった。
本当の心
お父さんありがとう。
Written by Akio
(2013.4.23up)
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