
アッキー
先日、福島県本間さんのフェースブックで
新地町の後晩期企画展を知り、急遽見学に行く。
今回は自分が最初に縄文担当した時に参考にした遺跡。
なかなか見る機会がない地元の方の所蔵品が多く良かったが、
いろいろ初めて知ることがあつた 。
あと休日ガソリンスタンドが悉く休みで高速乗れない苦笑。
ということで新地駅。太平洋側は天気良いなー 。
入口。期間が少し短いいね苦笑。

新地貝塚と三貫地貝塚。
両遺跡は福島県博刊行の報告書を参考にしたが、
当時は実物まで見に行かなかった 。
右奥に来る前にググつたニュースの写真通り、
市町村や個人蔵の土器200個が立つ 。

と思って近づいたら、あれ?嫌な予感苦笑。

と思ったらセンターの「持てる国宝土偶」を作って頂いた
元宮城県博の方が先生。
本間さん投稿へのコメントの意味をここで理解する苦笑。

最近、少し縄文海進的なことを調べてるのと、
新潟県三面の瘤付土器の企画展の「入り組まない入組文」、
夏の福島県博で見たいわき市の
小さいサメの歯形石器を探してるので、
個人蔵でなかなか見る機会なく良い機会となつた 。

人骨の頭の向きと鹿狼山。
自分の報告書の時は骨もなく飛ばしたが、
先日あつた最上町材木遺跡の調査報告会で、
栗島先生の1遺跡にたくさんのお墓と、
装飾品を有する特別なお墓の分布や方位の話しを思い出す。
再度報告書を確認したいと思う 。
講演は元福島県博の縄文森さんと元里浜貝塚の会田さん。
出向時に南相馬市の作業員さんにも教えてもらつた、
この周辺で高い鹿狼山。
その山頂に住み鹿と狼をお供にする手長明神が、
手を伸ばして海から貝を取って
山腹に貝殻を捨てたのが新地貝塚と三貫地貝塚という、
初めて聞く昔話。
地元では海から船で戻る目印にもなる鹿狼山。

最初期調査の学史。
お会いしたことはないが、
以前陸奥側での古墳時代の製塩を執筆された大学院母校の加藤孝先生

手長明神の昔話を聞いて、新地貝塚は以前行って
目の前学校でいろいろ探すのが気まづかつたので苦笑、三貫地貝塚へ。
遺跡は右側、左側は段差で低い。
着いてから前来たなと思う悲笑。

看板

鹿狼山。
昔話の絵と同じで山頂だけ黒く凹んで見える。
遺跡まで結構遠く、手長明神すごい手が長いいね笑 。
山形は明瞭な貝塚ないが、昔話のでき方を思う。
レジメ

《配信:2025.1.23》by akky 

葉羽 ここにも手長伝説があったんだ。初めて知りました♪
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