岸波通信その157「マイ・フェア・レディの真実」

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岸波通信その157
「マイ・フェア・レディの真実」

1 メイフェアのレディ

2 ピグマリオン

3 マイ・フェア・レディの真実

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  My Fair Lady 【2016.7.17改稿】(当初配信:2009.3.5)

「人生には二つの悲劇がある。
 一つは願いがかなわぬこと。もうひとつはその願いがかなうこと。」
  ・・・バーナード・ショー『人と超人』より

 僕を映画好きにした原因のかなりの部分は、少年期にオードリー・ヘプバーンの映画と出合えたお陰だと思います。

 彗星のように映画界に登場し、幾多の名作を残していった彼女は、“ファニー・フェイス”と呼ばれたその飄々たる風貌とは裏腹に、不遇な少女期を送っていたことをご存知でしょうか。

My Fair Lady

(オードリー・ヘプバーン)

 1929年にベルギーで生まれた彼女は、生後三週間で重い百日咳に罹り、心臓が停止したものの母親の必死の看護により蘇生。

 5歳でイギリスの寄宿舎学校に入学した頃、ファシズムに傾倒した父親は家族を捨てて離婚。

 その後、第二次世界大戦が勃発し、バレリーナとしてオランダにいた彼女は、ドイツ軍の占領下、レジスタンス弾圧運動の資金集めのために踊らされました。

 しかし、彼女が尽くしたドイツ軍は、レジスタンス運動に関わっていた叔父と従兄弟を目の前で射殺し、兄弟までも強制収容所送りに。

 戦後、ロンドンに移り住んだ頃の一家は無一文状態で、母親と彼女は様々な職業に就きながらほそぼそと生計を立てていたのです。

 そうした生活の中で、やがて女流作家コレットに見出され、ブロードウェイで上演される『ジジ』の主役に大抜擢されるのですが、こうした幸運も彼女が夢をあきらめなかったからでしょう。

 ということで、今回のテーマは、オードリーも演じた「マイ・フェア・レディ」についての謎に迫ります。

 

1 メイフェアのレディ

 オードリーが、主役の花売り娘イライザを演じた「マイ・フェア・レディ」は、1964年公開の作品。

 ところが、僕が彼女の作品に触れたのは、1966年公開の「おしゃれ泥棒」からでした。

 特徴のある髪型、大きな瞳と長い首が印象的で、当時、小学校高学年くらいだった僕やMIZO画伯は、オードリーのエキゾチックな美しさに首ったけとなりました。

 つまり、「マイ・フェア・レディ」は同時代で観たのでなく、後から知った代表作の一つだったわけですが、その時、心に引っかかったことがありました。

(「マイ・フェア・レディ」は、1964年のアカデミー賞(作品賞)受賞作品。)

 すなわち、「マイ・フェア・レディ」って、どういう意味? …ということ。

 その時には、何となく“私の美しいレディ”というような意味だろうと勝手に納得していたのですが、「どうして“私の”なんだろう?」ということ、そして何故「“ビューティフル”でも“プリティ”もなく“フェア”なんだろう?」ということがひっかかったのです。

 で、最近、その辺を調べてみましたら、「マイ・フェア・レディ」の語源はロンドンの高級商店街“Mayfair”が関わっていることが分かりました。

 この原題は、“Mayfair lady(メイフェア・レディ)”をロンドン下層階級の訛りで“マイフェア”と発音することをもじったものでした。

ミレニアム・メイフェア・ホテル

(メイフェア地区の高級ホテル)

 主人公のイライザは、もともとロンドン下層階級の花売り娘で、酔狂な言語学者の教育によって上流のレディへと大変身します。

 つまり、“マイ・フェア・レディ”とは、メイフェア暮らしを夢見る下層階級の花売り娘が、レディへと成り上がる夢を表したタイトルだったのです。

 

2 ピグマリオン

 この「マイ・フェア・レディ」、もともとは、アイルランド出身の劇作家バーナード・ショーが著した戯曲「ピグマリオン」が原作でした。

 1913年に初演されて人気を博し、1938年にウェンディ・ヒラーが主演して最初の映画化がなされた時には、ショー自身がアカデミー賞(脚色賞)を受賞しました。

 バーナード・ショーと言えば、『あなたが一番影響を受けた本は何ですか』という質問に対して『銀行の預金通帳だよ』と答えた皮肉屋。

 戯曲「ピグマリオン」も、一筋縄の作品ではありますまい。

バーナード・ショー

(イギリスの劇作家)

 さて、その“一筋縄ではない謎”に触れる前に、映画「マイ・フェア・レディ」のストーリーですが…

 言語学者のヒギンズ教授は「どんなに下世話な花売り娘でも、自分の手にかかれば半年で舞踏会でも通用するレディに仕立て上げられる」と豪語し、友人のピッカリングと賭けをすることになります。

 賭けは、たまたま目の前にいた下層階級の売れない花売り娘、イライザをレディに教育できればヒギンズの勝ちというもの。

 その話に興味を持ったイライザは、“下町流に”着飾ってヒギンズの家を訪れ、「手も足もちゃんと洗ってきたんだよ」と。

 そんなイライザへの教育は困難を極めたものの、何とか上流の話し方を身に付けさせて社交界デビューへ。

 しかし、イライザの中身が伴っていないために、ヒギンズは大恥をかくハメになります。

 これに懲りず、イライザを再度、大特訓して再デビューさせると、今度はトランシルバニア皇太子からダンスを指名されるなど大成功。

 これにて、賭けはヒギンズの大勝利となりますが、イライザは自分がただの賭けの道具であったことに気づいてしまうのです。

My Fair Lady

(オードリー・ヘプバーン)

 ヒギンズを愛し始めていたイライザは大きなショックを受けて泣き崩れます。

「貴方のことは好きだけれど、私を人間として扱ってくれない以上もう一緒にはいられません。」

 イライザを失ったヒギンズは、脱力感と深い後悔におそわれ、研究室で彼女の声を録音してあったテープを聴きながら、物思いにふけるのでした。

 失ってみて初めてわかる彼女の大切さ・・・彼もまたイライザを愛し始めていたのでした。

 ~ここで、映画は劇的なエンディングを迎えます。

 テープの再生が突然止まり、聞きなれた声が聞こえます。

「手も足もちゃんと洗ってきたんだよ。」

 ……………!!

 しかし…

 原作「ピグマリオン」では、イライザは自分を人間として扱わなかったヒギンズを許しませんでした。

 「レディと花売り娘との差は、どう振る舞うかにあるのではありません。

  どう扱われるかにあるのです。

  私は、貴方にとってずっと花売り娘でした。

  なぜなら、貴方は私をずっと花売り娘として扱ってきたからです。」

 ~この有名なセリフは、教育心理学用語で『ピグマリオン効果』と呼ばれ、「教師の期待によって学習者の成績が向上する現象」を指す言葉となりました。

My Fair Lady

 そして、イライザの運命はどうなるのか?

 結局、彼女は、没落して無一文になった青年フレディと結婚し、二人で下町で花屋を始めるのです。

 お金持ちで社会的地位もあるヒギンズではなく、等身大で愛し合える貧しい青年との苦労を選択したイライザ。

 さて、貴方は、どちらのエンディングが素敵だと感じますか?

 

3 マイ・フェア・レディの真実

 戯曲「ピグマリオン」の結末を大幅に改変した映画「マイ・フェア・レディ」。

 「マイ・フェア・レディ」は、その後1956年に、ブロードウェイの舞台ででミュージカル化(主演:ジュリー・アンドリュース)され、7年半にわたって2,717回のロングランと、当時としては記録的なヒットとなりました。

(日本では、1963年に江利チエミ主演で上演されました。)

 このミュージカルでも、そしてオードリーの主演でリメイクされた時も、1938年の映画のエンディングが踏襲されています。

マイ・フェア・レディ

(ジュリー・アンドリュース)

 これは、原作者の意図を無視して勝手に改変されたのでしょうか。

 いいえ、そうではありません。

 実は、そもそもバーナード・ショーは、「ピグマリオン」でヒギンズがイライザと結婚する結末と、イライザがフレディと結婚する結末の二通りを書いていたのです。

 そして、熟考した上で、「ピグマリオン」では、フレディと結婚するという皮肉な結末を選びました。

 しかし、1938年の映画化に当っては、彼自身がアカデミー賞脚色賞を受賞していることからも分かるとおり、“彼自身も関わって”別の結末を選んだのです。

 何故、そのようなことを…?

 バーナード・ショーの「ピグマリオン」は、もともとギリシャ神話の「ピュグマリオーン」に題材を採った作品でした。

ピュグマリオーンとガラテア(部分)

(ジャン=レオン・ジェローム)

 ピュグマリオーンは、自分が考える理想の女性ガラテアを彫刻し、それを眺めているうちに自らの彫刻に恋をしてしまうキプロス島の王様です。

 恋焦がれるあまりに彫刻が人間になることを願い、それが叶わぬため次第に衰弱してしまうのです。

 それを見かねた美神アフロディーテが彫刻に命を与え、二人は結ばれる~というストーリーなのですが、このピュグマリオーンこそヒギンズ教授でしょう。

 つまり、物語の真の主人公はヒギンズだったのです。

 また、バーナード・ショーは、別の戯曲「人と超人」の中で次のような意味深な言葉を残しています。

『人生には二つの悲劇がある。

 一つは願いがかなわぬこと。もうひとつはその願いがかなうこと。』

人と超人

(岩波文庫)

 ヒギンズにとって、イライザを失うことはもちろん悲劇だったでしょう。

 でも、自分で作り上げた偶像イライザと結ばれたと仮定して、本当にヒギンズは幸福になれたでしょうか?

 ピュグマリオーンは、彫刻のガラテアと結婚して、幸福な末路を辿ったのでしょうか?

 人生にある二つの悲劇…。

 バーナード・ショーにとって、「ピグマリオン」と「マイ・フェア・レディ」は、二つ揃って初めて一つの作品となりえたのではないか?

 そう思えてならないのです。

 

/// end of the “その157 「マイ・フェア・レディの真実」” ///

 

《追伸》

 日本で初めて「カーテン・コール」が行われたのは、江利チエミが「マイ・フェア・レディ」に主演した1963年の東京宝塚劇場の公演の時です。

 「マイ・フェア・レディ」は、わが国に意外な影響を与えていたのですね。

 また、オードリー・ヘプバーンは、アンネ・フランクと同い年で、戦後、彼女のことを知ってひどく心を痛めていました。

 後年、「アンネの日記」のアンネ役を所望された時には、「暗い過去を思い出すから」ということで、出演を断ることもありました。

 さらに、「マイ・フェア・レディ」の“フェア”ですが、この言葉にはスラングで「うわべだけの」という意味があるそうです。

 「私のうわべだけの淑女」…もしかすると、こうした意味まで“掛け言葉”になっているのかもしれません。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

マイ・フェア・レディ

(大地真央主演の帝劇公演ポスター)

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To be continued⇒“158”coming soon!

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