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「光の囁き」(TAM Music Factory)

by 岸波(葉羽)【配信2013.9.17

 

◆この記事は作品のストーリーについて触れています。作品を実際に楽しむ前にストーリーを知りたくない方は閲覧をお控えください。

 こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。

 第61回ベルリン映画祭 銀熊賞・国際評論家連盟賞受賞。
 
第84回米アカデミー賞外国映画賞 ハンガリー代表。

 カリスマ彰が、まさかの二連発。「ファッションの達人!」に掲載した『ニーチェの馬』のレビューをこちらにもアップさせていただきます。

ニーチェの馬

(C)Marton Perlaki

 今回、お贈りする『ニーチェの馬』について、まずは基本データのみご紹介いたします。

 監督:タル・ベーラ
 脚本:タル・ベーラ、クラスナホルカイ・ラースロー
 撮影:フレッド・ケレメン
 音楽:ヴィーグ・ミハーイ
 出演:ボーク・エリカ、デルジ・ヤーノシュ
 ハンガリー=フランス=スイス=ドイツ/2011年
 154分/モノクロ/35㎜/1:1.66/ドルビーSRD
 英題:The Turin Horse 配給:ビターズ・エンド

 それでは、カリスマ彰にお願いしたいと思います。

 

(カリスマ彰)

 アニメ界の帝王と呼んだらいいのだろうか、宮崎駿(1941.1.5~)が引退する。

 私は、証券会社からWWDジャパンの編集部に入る前に半年ほど「アニメージュ」編集部でバイトしていたことがある。

 といっても、「アニメージュ」ではなく、同編集部が作っていた別冊「なぞなぞ大図鑑」を編集していたのだが。

 その時、宮崎駿の原画を見た記憶がある。

宮崎駿氏

 私はアニメ好きでもないし、ファンタジーと呼ばれる映画が嫌いなので宮崎作品は、初期の「風の谷のナウシカ」(1984年)に感心したぐらいである。

 この「風の谷のナウシカ」はある意味世界の終末を描いたアニメで、宮崎アニメの中では、かなりシリアスな内容になっている。

 世界の終末を描いた作品というと、なんと言ってもアンドレイ・タルコフスキイ(1932.4.4-1986.12.29)の最後の映画である「サクリファイス」(1986年)ということになるが、彼の作品の中では、その結晶度は今ひとつではないかと思う。

「サクリファイス」

(1986年)

 「サクリファイス」には哲学者のニーチェ(1844.10.15-1900.8.25)がトリノで発狂するきっかけになったと言われる鞭打たれる馬のエピソードが実際に出てくる。

 このエピソードに触発されたと言われる映画「ニーチェの馬」(2011年ハンガリー映画)を最近DVDで観た。

 冒頭のシーンに疾走する馬が登場するが、その舞台は砂嵐が吹きすさぶ荒野のあばら家だ。

 映画はこの家に住む貧しい農夫とその娘の6日間を描いている。

 一向に止まない砂嵐。こんな場所が実際にあるのだろうか。

 あるいはどうやって、撮影中に砂嵐を巻き起こしているのか。

 親娘は実に単調な日常を繰り返している。

 時おりこのあばら家を訪れる者が現れるが、それ以外は、ジャガイモを茹でて食べる。洗濯をする。井戸から水を汲む。薪を割る。火を起こす。寝るの繰り返し。

 時おり馬車で街に買い出しに行っていたようだが、ついにいくら鞭打っても馬が言うことを聞かなくなってしまう。

 着々とこの親娘には最期の日が迫ってくる。

ニーチェの馬

(C)Marton Perlaki

 こんなモノクロ映像が2時間26分延々と続くのだが、私は全く飽くことがなくその黙示録のような静かな悲劇を味わった。

 少なくとも今世紀に入ってから私が観た映画のベストワンではなかろうか。

 この映画を監督したタル・ベーラ(1955.7.24~)は、これを最後にもう映画は撮らないと宣言したが、よくわかる。

 全てを語り尽くしてもうこの後には、何にも語るものは残っていないのだろう。

 アニメとかファンタジーでは絶対に描けない世界がここにはある。

 映画芸術の本質に迫った傑作だと思う。

 観る者を選ぶ映画だとは思わない。

 多くの人に観てもらいたい映画だと思う。

 

/// end of the “cinemaアラカルト151 「ニーチェの馬」”///

 

(追伸)

岸波

 この「ニーチェの馬」の親娘を取り巻く世界がどんな状態であるかという説明はありません。

 でも、二人が生活する一軒家を取り巻く荒涼たる大地の向こうには、彼らが生活の糧を入手できる村がありました。

 彼らの馬は、そこと行き来し、物資を運ぶための唯一の手段であったと思われます。

 その村からやって来た男のモノローグがあります。「村は気高い人達と神によって破壊された」と。

 これはいったいどういうことなのか。

ニーチェの馬

(C)Marton Perlaki

 やがて親娘の住む家の井戸が涸れ、どこかへ移動しなくてはならなくなりますが、彼らは家を出立すると結局、元の道を辿って戻ってきます。

 やがて家の火種が消えてしまう・・・。

 もうどこへも行く場所は無い。そして馬も動くことを拒否し、餌さえも食べなくなる。

 何故、馬は動こうとしないのか。

 このストーリーを辿っていて、ハッとしました。

 この親娘を取り巻く世界は「何か」によって破壊されている。それはもしかすると、目には見えない「汚染」のようなものに行く手を阻まれているのではないか。

ニーチェの馬

(C)Marton Perlaki

 あわてて映画の製作年月日を確認しました。

 日本での初公開は2012年2月11日。しかし、初封切りはドイツで2011年2月15日。その後ハンガリーでの公開が2011年3月31日。

 やはり、東日本大震災より先に制作されていました。

 しかし福島に生きる僕達は、この映画を福島第一原発の放射能汚染事故と重ね合わせずにはいられません。

 映画の親子の世界は「気高い人達と神によって破壊」されてしまい、生き残った二人もそこから逃れる術はなく、間もなく訪れる死を迎え入れるしかない。

 彰はそれを文学や芸術の範疇で捉えるのでしょうが、僕から見れば壮大な“終末SF物語”です。

ニーチェの馬

(C)Marton Perlaki

 福島では、地震と津波から逃れた人たちは、さらに迫り来る放射能を浴びながらもかろうじて脱出しましたが、家畜たちは置き去りとなりました。

 映画の親娘は、福島の家畜たちと同じ運命を辿ることになるのでしょう。

 誰も救ってはくれない。

 「神も仏もない」という言葉がありますが、まさにニーチェの言う「神なき世界」をどうやって受け入れていけばいいのか。

 この圧倒的な“無慈悲”を前にして、人間はいったい何を為せるのか?

 

 では、次回の“cinemaアラカルト”で・・・See you again !

ニーチェの馬

(C)Marton Perlaki

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To be continued⇒  “cinemaアラカルト152” coming soon!

 

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