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5月22日に、日本の音楽評論の第一人者だった吉田秀和が98歳で亡くなった。

 死の直前まで「レコード芸術」に毎月エッセイを連載し、NHKFMで毎週土曜日の夜9時から「名曲のたのしみ」に出演(まだ録音がかなり残っているため年内は放送を続行)していたのだから驚く。

故・吉田秀和

故・吉田秀和

 いささかの衰えもなかったというのは言い過ぎで、やはり「レコード芸術」の連載「之を楽しむ者に如かず」は、最近では老人の思い出話が多くて、閉口することもあった。

 吉田秀和は、私が最も影響を受けた文章家かもしれない。

 高校生以来その著作のほとんどを読んでいるが、表面はノーブルな書き方だが、ちゃんと本質をエグるような文章に魅了されたものである。

 世紀の大ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツ(1903-1989)の1983年の初来日の演奏を「ヒビの入った骨董品」と見事な表現で、あたりさわりなく酷評したのは、吉田秀和ただ一人だった。

 他の評論家は「たしかに全盛期の出来にはすでにないが、それでもその余光を感じるには十分な演奏だった」とかなんとか書くのが精一杯だったのだが、「ホロヴィッツはたしかに骨董品である。しかも、ヒビの入った骨董品である」は、後世に残る吉田秀和の一句である。

 この朝日新聞の吉田の演奏会評の英訳を読んだホロヴィッツが汚名をそそぐべく3年後に再来日を決意したというエピソードがまことしやかに語られている。

著書と若き日の写真

著書と若き日の写真

 批評における隠喩(メタファー)の威力に気付かされる。批判もあまりに見事だと、反発も封じ込めてしまうのだ。

 ファッション批評でも十分に活かせる手法だと思うが、そんな格調のある文章を見たことがない。

 吉田秀和とは、彼が館長を務めていた水戸芸術館で行なわれた2000年4月の森英恵回顧展のオープニングパーティで話したことがある。

 そのパーティの前の記者会見に私は出席していなかったのだが、その会見で出た質問と同じような質問をして、「君は記者会見に出なかったの?もうそれは話しちゃったんだけどね」とまずやんわりと叱られた。

 いわゆる好々爺ではなくて、ちょっとケンもある人物だったようで、良からぬ噂がなかったわけではないようだ。

 その後は森英恵論やら鎌倉の自宅からここまで差し回しのベンツで高速をフルスピードで来たことなどを楽しげに話していた。

 鎌倉と言えば、友人の下宿にしばらく転がり込んだ時に、小町から七里ヶ浜へ抜ける道を彼とバルバラ夫人が仲睦まじく歩いているのを目撃したことがあった。

吉田秀和とバルバラ夫人

吉田秀和とバルバラ夫人

(万里の長城にて)

 このドイツ人のバルバラ夫人を亡くした(2003年)のが吉田にとっては相当の痛手だったようで2年ほど休筆していた。

 吉田秀和の文章の特徴として、旧制高校的教養主義が根底にあるが、芸術を決して高踏なものしない、生活の一部としての芸術という視線が底流にあった。

 最近よく公開されている質素だが品格のある鎌倉の雪の下の自宅の写真を見ると、それがよく分かる。

 一方貴族主義と言ってよいのかどうか、一種の品の良さや高級感が表れていて、この味わいがファンには堪らなかった。

 ともあれ、やはりひつの大木が崩れ落ちたような喪失感はなかなか埋まらない。

 昨年12月の立川談誌(享年75)今年3月の吉本隆明(同87)と私の「アイドル」が次々にいなくなってしまった。

 最近追悼記ばかり書いている気がするが、寂しいことである。

                

(2012.8.14「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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