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NHK・Eテレに「哲子の部屋」という教養娯楽番組がある。ドゥルーズなどのフランス人哲学者の言説をイジってわかりやすく解説するバラエティ番組だ。

 最近はウラジミール・ジャンケレヴィッチ(1903.8.31-1985.4.10)を取り上げて「人はなぜヤタラと懐かしがるの?」をテーマに掲げていた。

 ジャンケレヴィッチは晩年「時間の逆行不可能性」「出来事の一回性」「過去の取消不可能性」などをヤタラと強調した哲学を展開した。いずれも哲学者に言われなくとも当たり前のことだと思うが。

 「哲子の部屋」では、夕暮れの写真を見ると、なぜ人は皆寂しく悲しい気持ちになるのかなどを哲学者、芸人、女優が入り乱れてワイワイガヤガヤやっていた。

「ばらの騎士」 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 さて「夕映えのオペラ」ということになると、これはもうリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」にトドメを刺す。

 帝国のまさに末期、後に第1次世界大戦ですっかり崩壊してしまう古き良きヨーロッパの最後の姿が刻印されている。

 「ばらの騎士」がドレスデンで初演されたのは、第1次世界大戦が勃発するわずか3年前のことだ。この「ばらの騎士」を新国立劇場で観た(5月30日)。

 素晴らしい上演だった。特にシュテファン・ショルテス指揮の東京フィルがまるでウィーンの歌劇場で聴いているような香り高い名演。

 「日本のオーケストラではウィーンの香りが感じられない」などという紋切り批評はもう言わせないというような見事さだった。

「ばらの騎士」 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 そう言えば、演出(ペーター・コンヴィチュニー)ばかりが論じられた2011年2月の二期会の「サロメ」で都響を指揮していたのもショルテスだった。

 手堅い以上の指揮で、オーケストラへの要求も細かそう。今回もオーケストラから実に様々な音楽が新たに聞こえて来た。

 「ああ、この音は馬車の到着の音なのか」とか「ああ、これは時計の音なんだ」とか楽しい発見がいくつもあった。

 リヒャルト・シュトラウスというのはやはり大作曲家である。

 同じハンガリー出身のショルティに名前も似ているショルテスは風貌もちょっと冴えないからビッグポストには縁遠いのだろうが、こういう指揮者が独墺のオペラ上演を支えているのだろう。

「ばらの騎士」 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 今回この爛熟のオペラに「ヤタラと懐かしがる人」はたった一人しか登場しないことに初めて気付かされた。もちろん元師夫人のことである。

 他の登場人物は、たぶん沈みゆく夕陽を見ても、「ああ、奇麗」とか「明日があるさ」とかその後に訪れる「夜の世界」を待ち望むとか、そんな元気な人たちばかりである。

 しかし、元師夫人だけが、ジャンケレヴィッチの言うところの「時間の逆行不可能性」「出来事の一回性」「過去の取消不可能性」を熟知しているのである。

 元師夫人を今回演じたアンネ・シュヴァーネヴィルムスは風貌、演技、歌唱ともにまさにハマリ役。今の今がピークなのだろう。

 もう一人の主役(オックス男爵)を演じたユルゲン・リンも申し分のない演技と歌唱で楽しませてくれた。

「ばらの騎士」 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 堪能し切った上演だったが、少しばかり気になった点をいくつか指摘しておきたい(演出は2007年、2011年に続きジョナサン・ミラー)。

 第1幕は元師夫人の寝室で全てすませているがちょっと無理がある。仕切りを設けて居間と寝室を分けないから庶民たちが簡単に貴族の寝室に入って来てしまう。

 また執事がその入口で常に待機(居眠りしてはいるが)しているのもストーリー展開上は無理があると思う。

 また、オックス男爵の衣装(カーキ色のニッカボッカに赤のソックスに短ブーツ)はいくらなんでも田舎者丸出しで可哀そう。

 第2幕のセットは第1幕の使い回しだったが、元師夫人の寝室・居間と俄成金ファーニナル邸の居間の構造が同じなのはいささか興醒めだ。さらに令嬢ゾフィーの衣裳(グレー)やヘアスタイルが地味過ぎる。

 白の衣裳が第1幕で元師夫人着用になっていて重複を嫌うならここは薄いピンクのロングドレスしかないと思うが。

「ばらの騎士」 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 第3幕の幕切れ。小姓が最後に元師夫人の忘れ物(落し物?)を取りに来るオチは今回もやはり決まっていない。

 誰かうまい解決策を提案してほしいものである。まあ、充実した上演の前ではこうしたことは細かい傷でしかないけれども。

 2回の休憩(各25分)を入れると全3幕4時間を擁する大作だが、あっという間に終わってしまう。

 特に第2幕、第3幕はオペレッタみたいな楽しさに溢れている。

                

(2015.6.4「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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