|
|||
|
第56集は、楽翁師匠が沖縄を旅した記録です。
好山楽翁
寒い日が続いていますがいかがお過ごしでしょうか。
先日(1/27~30)沖縄に行ってきました。ちょうど「桜まつり」の最中でした。
世界遺産の「中城城跡」「今帰仁城跡」「斎場御嶽」などを巡ってきました。
まず「中城城跡」ですが、14世紀後半くらいまでに時の城主の一族が数世代にわたって南の郭、西の郭、一の郭、二の郭など骨格部分を築き上げてきた居城だそうです。 ただ、一族の名前とかは明らかでないようです。
中城城址マップ
その後15世紀に入り、別の城から移って来た護佐丸盛春(ごさまるせいしゅん)という人物が三の郭や北の郭を増築して今の姿になったと。 ところがこの護佐丸さん、建築名人だったようで、増築部分は「相方積み」という高度な技法を使い、先に出来ていた「一の郭」の二つの城門もアーチ式に組み替えたそうで。
幕末の日本に開国を迫ったアメリカのペリー提督も1853年5月にここを訪れ、ぺリーさんは、これらのアーチ門を「エジプト式」と評して建築技法を高く評価したのだとか。
下がそのアーチ門がある「一の郭」です。↓
一の郭
ここは「正殿」があった場所で、廃藩置県後は村役場に使われていたのですが、沖縄戦で全て焼失。 せっかくペリーさんが、ここの文化的価値を時の政府に報告しているのに、血も涙もないったらありゃしない。
次が、同じアーチ型の裏門を出るところ。↓
アーチ以外の石の積み方がさっきと違います。
これが「相方積み」の高度な技法と言われるものでしょう。どの辺が「相方」なんでしょうか。(あの辺かな)
裏門
次が沖縄本島の北部にある今帰仁城(なきじんぐすく)。 ちょうど沖縄の桜「カンヒザクラ」が盛りで桜祭りの真っ最中。
なお、この桜は昔からあったワケでは無く、昭和40年代に地元の人々が植えたものだそうです。なんだ新しいのか。
今帰仁城の桜祭り
このお城は、14世紀、琉球王国以前に存在した北山国王、北山王の居城でした。 なので、別名「北山城」とも呼ばれます。
ここは標高100メートルの高さにあり、やんばるの地を守る要害でした。
下が城跡の見取り図。↓
今帰仁城(北山城)跡
城のすそ野(左下の⑫)に集落跡があり、高さ2メートルの外郭に囲まれた中に②の正門である平郎門があります。 下がその平郎門。↓
琉球政府時代の昭和37年に修復されたものです。りっぱな松ですねぇ。
平郎門(正門)
上の方から正門方向を写した写真。↓ 城を囲む石垣は地形を巧みに利用したもので、美しい曲線を描いています。
沖縄屈指の名城とされ、平成18年には「日本100名城」の一つに選定されました。
今帰仁城(北山城)の石垣とカンヒザクラ並木
下の写真は、世界遺産に登録された記念碑。↓ 2000年12月に開催された世界遺産委員会で、首里城跡や先ほどの中城城跡などと合わせて九つの資産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました。
北山王もさぞや鼻が高いことでしょう。あーよかった。
世界遺産登録記念碑
今回はここまで。 後編は那覇の街中に繰り出します。こうご期待。
|
Copyright(C)好山楽翁&葉羽.All Right Reserved. |