|
おばあちゃん、化粧しているの初めて見た。きれいだよ。
でも、これっきりだね。
長澤有紀(山梨県 24歳) |
|
数年前に祖母を亡くしました。
享年95歳でしたから、大往生と言ってもいいでしょう。
しかし、我が家でお葬式を出したのは、僕が生まれた年に祖父が亡くなって以来。
つまり、50年以上もお葬式を出したことがないのです。
僕にとっては、身近な者がある日突然いなくなるという経験を初めてしたわけです。
祖母は若くして連れ合いを亡くし、僕の父親など子供三人を苦労して育てて来たため、化粧をした姿など見たことはありません。
父の事業が成功した後は、それなりの生活が出来るようになったはずですが、いつでも着たきりすずめのボロを纏い、決して贅沢をしようとはしませんでした。
僕が子供の頃は、そんな身なりをしていた祖母を恥ずかしく思うことさえありました。
中学の時、割と裕福な家庭の同級生が家に遊びに来て、そんな祖母に驚いたように「今の人誰?使用人の人?」と言ったのです。
その時、僕は本当のことが言えなくなり、言葉をごまかしてしまったのです。
この事件は心のトラウマになって、はっきり言えなかった自分が情けなく、祖母にすまない気持ちでいっぱいでした。
病弱に生まれついて「三歳まで生きられない」と医者から宣告された僕を、いつも庇ってくれたのはこの祖母だったからです。
しょっちゅう肺炎を患っていた僕を、雨の日も風の日もおぶって病院へ行ってくれた祖母…。
祖母の葬式の時、生まれて初めて紅を引いた祖母を見ました。
美しく安らかな死に顔でした。
自分に厳しく、いつも毅然として弱音をはかない人でした。
こんな立派な人を“恥ずかしい”と思ったあの事件がふいによみがえり、万感の想いがこみ上げました。おばあちゃん許してください。あなたは僕の誇りです。