セピアの記憶 (詩:葉羽)
PC二台と本に埋もれたこの部屋で
日々 人生を書き残している
昨日はジブリの
「君たちはどう生きるか」のレビューを綴り
宮崎駿は自分と同じだと感じた
そうか駿の母親は脊椎カリエスで
構ってもらえた記憶が無かったんだ・・
家を失くして
貧乏のどん底だった子供の頃
母は身近な存在では無かった
それこそ身を粉にして
早朝から深夜まで働きづくめ
「お母さんの顔を描きなさい」
という幼稚園のお絵描き時間に
一人だけ描けなかったほどの
おばあちゃん子だった
その後、社員の縫子さんたちと
毎年、バス旅行に行くなど
いい時代もあったけれど
晩年は遂に時代に負けて
会社を失う事になった
苦労して建てた社屋に
別れを告げる日・・
涙をこらえながら
会社を見つめて立ち尽くす姿が
今でも忘れられない
また、寝たきりになった父が
何度目かの手術を終えて家に戻った日
あの大震災がやって来た
両親とも会津に避難させようとしたが
父は動かせない状態だった
「おれは、父ちゃんをおいては行がんに」
母は水も電気も無い家に留まり
結局、その心労から
ひと月経たずして亡くなった
ああ、もう一度めぐり会いたい
ずっと一緒に居たかった・・
「君たちはどう生きるか」みたいに
地下世界でも構わないから・・
母の若き日の
セピア色の写真を見ながら
色々な想いが募って来る |