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| ◆ 駐在員生活の思い出/汚職天国の国で
インドネシアでは、通常税務調査は管轄の地域税務署が行うが、BPKPは税金を多く取れそうな企業に目をつけて調査を行っていて、スミコンウタマも6年前に調査を受けたことがあった。 その時はぼくの後任者(1993年帰国後は本社企画室で勤務していた)が対応しており、彼によるとBPKPの調査員は、いい加減な税務署職員とちがって、まじめに調査をしてこちらの言い分もしっかり聞いてくれたということだったが・・・
当時のインドネシアはとにかく汚職が蔓延しており、空港では入国、出国の際にワイロを要求され、警察も犯罪の取り締まりよりも罰金ならぬワイロの徴収に熱心で、役所もワイロ(裏金)なしではまったく話が進まなかった。 それでもBPKPはまともという話だったが、いざ税務調査が始まると・・・ 女性調査官3人がチームを組んで調査にあたり、確かに93年度の調査をした税務署担当官に比べると真剣に書類を調査してはいたが、地方で施工したプロジェクトに実態があるか調査すると言い出し、スラヴェシ島のパラパラ(州都マカッサルから北に155キロ)に設置したパラボラアンテナ(NECから受注)を現地調査すると・・・
ウジュンパンダン(現マカッサル)への航空券からホテル、食事まですべてこちらの負担で3人を連れて行き、現場をちょっと見た後はそれぞれ自由行動となり、その車の手配から高価な土産まで買わされてしまう。 その後、何度も資料を提出させられ、追徴税を課されては反論レターを提出していったが、決着は翌1997年に持ち越しとなってしまった。
この頃は、土曜日はもちろん日曜日もほとんど休めず、宿舎の近所で朝早くから工事をしていてよく眠れず、体調を崩すことも多かった。 そんな中、10月9日、たいたいがジャカルタに慰問に来てくれた。
日本は連休だったが、こちらは平日で仕事は休めず、プレジデントホテルに泊まって昼食は一緒に取ったものの、昼間はたいたい一人でショッピングなどして自由行動。
上掲写真の左側がプレジデントホテル。 1972年「JALホテルシステム」の1号店として開業。向いが日本大使館ということもあり、日本人ビジネスマンの聖地のような時期があった。 1986年5月、日本赤軍がホテルの部屋から大使館にロケット弾を撃ち込む事件もあったが・・・ なお、同ホテルは2003年4月よりHotel Nikko Jakartaになり、2012年1月19日からは現在のホテル名『プルマン ジャカルタインドネシア』(フランス資本)で運営している。
12日は久しぶりの土休を取って、バリトー通りの写真館「SHADOW」 でアチェ民族衣装の写真撮影。
午後からはアンチョールのシーワールド、ドゥニアファンタジーで二人童心に帰って遊ぶ。 日本で留守番している子どもたちを長くはほっておけないので、13日の夜便で早々に帰国。 しばらくは気が抜けてしまい仕事も手につかなかったが、長女は浦和一女でバドミントン部、長男も上尾中バスケット部でがんばっていると聞いて、ぼくも負けられないと一念発起した。
#243送ります。 なんだかいつのまにか夏が終わってしまったね。 海にも行かず、泳ぎもせず、あまりエアコンも使わず・・・
(2026.10.4up)
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