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| ◆ 駐在員生活の思い出/マダム・ティエンの死去
12月勘定の締めから始めると、間違いがやたら多くて修正に時間がかかり、決算報告書作成にえらい時間がかかってしまった。 現地法人・スミコンウタマの経理部門は人員も少なく、事業規模の拡大ペースに追いついていない状況だったので、経理マネージャークラスを雇用することにして、新聞広告の募集や取引先からの紹介などで面接を重ねた。
そうこうするうち、5年ほど前ウタマで会計マネージャーをしていた男が応募してきて、採用してみたところかなり優秀な男で、一通り仕事をまかせられそうだった。 彼を各現場に派遣して現場経理事務を指導させていたところ、ある現場でたまたま遭遇した協力業者の日本人社員(前回のアルンで一緒に働いた)が「彼はあちこちで悪さをしているとんでもない男ですよ」と教えてくれ、あわてて解雇する騒ぎがあった。
それ以降、現状のスタッフをぼくが主導して業務を仕切ることになり、事務所の応接室に泊まり込んで作業することもしょっちゅうになった(´;ω;`) バンテン州・チレゴンのセメント工場の現場にも泊まり込みで出張して現場事務を指導。
特急列車も新しくきれいになっていたが、当時は列車内で置き引きが多発していて、荷物から絶対に目を離すな。車内で寝るなと言われていた)
3月、長期VISA取得のためシンガポール出張。 当時のシンガポール事務職が、本社の国際・管理課時代の部下だったので、シンガポール事務所の経理、税務事務を参考のため教えてもらう。 ジャカルタに比べスタッフも優秀でシステムも進歩的で決算業務も税務も全て任せられる状況で、まったくうらやましい限り。 その夜泊めてもらった宿舎で長女の浦和第一女子高合格の報を受け、シンガポールの駐在員とカラオケに行き祝杯をあげる。
その後も忙しい毎日を送っていたある日、「Surat Panggilan」が届く。 以前の駐在時、一番見たくなかったもの。
税務署からの「呼び出し状」で1993年度の税務調査を始めるので、〇月〇日、税務署に出頭せよ」と。 調査が毎年入るとは限らず、ここ三年ほど来ていなかったようだがよりによってぼくが赴任してきた早々に届けられるとは(´;ω;`) 以降、ローカル経理スタッフと税務署に出向き、要求された書類を提出し、根拠のない法外な追徴税をふっかけられ、反論レターを出し、何度もネゴを重ねたうえでなあなあの金額で決着して領収書のない大金を支払うことに・・・ 4月28日(日)、家で休んでいると各戸半旗をあげるようにとの通達が来て近くのポンドックモールへ国旗を買いに。聞くと大統領夫人が死去したためとのこと。 ティエン・スハルト大統領夫人は、インドネシア赤十字社やバリサン・ペムダ・プトリ(独立革命期に存在した女性の民間防衛の青年組織)などを支援し、女性の権利と地位向上に貢献。 1996年7月30日、インドネシア政府はシティ・ハルティナ(ティエン夫人)にインドネシア国民的英雄の称号を授与している。 夫人は、スハルト大統領の側近で政治顧問でもあったと言われており実際スハルトは夫人に絶大な信頼をおいていたようだった。
一方で口利き料としてプロジェクトの10%程度のリベートを要求することを揶揄され、「マダム・ティエン(10)・パーセント」と陰で呼ばれていた。 あとから思うに、この夫人の死去が盤石と思われたスハルト体制が崩壊していく兆しだったのかと・・・
#241送ります。 またまた遅くなりました。 最近ますます物忘れがひどくなって、むかしの出来事や人の名前も思い出せなくなってきた;
(2026.9.20up)
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