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| ◆ 駐在員生活の思い出/マニラからジャカルタへ
義姉一家6人と合流して総勢12人参加。
(我が家の長女のみ高校受験の塾合宿で不参加) 去年、一昨年と二年連続で土湯の観山荘だったが、ぼくが海外出張中だったため今回は以前の定宿だった飯坂温泉・華滝に。
今回は時間がなく友人たちとの飲み会もできず、2日に上尾に戻り、3日、晴海のホテル浦島で塾合宿の長女を迎えに。 4日、5時起床、寝てる子らにあいさつして9時45分発のJALでマニラに戻る。 10日、後任の伊藤氏がマニラに到着。 事務引継を終えて14日(日)、7年ぶりのジャカルタへ。 ジャカルタの高級住宅街、ポンドックインダの単身者宿舎に入る。 15日朝、若手事務職(ポンドック地区の家を借りてフィリピン人の奥さん、二人の娘さんと暮らしていた)が宿舎に迎えに来て初出社。 事務所はスミトマス20階から12階に移り、スペースも倍に、スタッフもずいぶん増えていた。
所長は前回のインドネシア勤務時に家族ぐるみの付き合いをしていた草深氏(NEWS-109, 110, 176に登場)で相性も良く、楽しく仕事できそうだった。 当時のインドネシアはスハルト開発独裁政権の絶頂時で、日本やアメリカなど援助供与国の開発援助や外資による市場経済化を推進していて、「開発独裁」型リーダーとして「東アジアの奇跡」といわれるほどの経済成長を遂げ、スハルトは「開発の父」と称賛されていた。 日本の朝日新聞も「インドネシア経済はいずれ日本経済を超えるだろう」などという記事を掲載していた。 現地子会社・スミコンウタマも、ぼくがいない9年間に旧市街コタのマンガドゥアショッピングモール、ゴルフヒルテラスコンドミニアム、リバーサイドゴルフクラブ、スミトマスⅡなどの大型工事を完成させ、バタビアコンドミニアム、チレボンセメント工場などを施行中だった。
こちらは、ジャカルタの名門コース、ポンドックインダGCを見下ろすゴルフヒルテラス。
旧市街コタのマンガドゥアショッピングモール。↓
これからインドネシアもスミコンウタマも順調に発展していくだろうと希望に満ち溢れていたのだが・・・ #239送ります。 今日は長女の孫たちとさいたまタジアムで花火見てきたりしてまたまた遅くなってしまった・・・ ともあれ、オペ無事に終わってよかったね。一泊入院なら負担も少ないよね。
(2026.9.6up)
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