![]() |
|
|||||||
|
| ◆ 駐在員生活の思い出/波乱の年、幕開け
9月には国税局の調査が入り、海外プロジェクトの対応をまかされる。 特に利益率が高かったケニアJKUCATプロジェクトは調査官に目をつけられ、所長も呼び出しをされていろいろと厳しくもいやらしい質問をされて怒りまくっていた。
10月末国税局調査やっと終了。
11月は海外子会社・住健アメリカ社の清算業務が佳境に。 アメリカ進出以来赤字が続いていて、訴訟大国のアメリカで施主、下請け業者他あちこちから訴えられてどうしようもなくなり、清算も大変だった。 1995年元旦は去年に続きまた義父母、たいたいの姉一家(義姉と長女は大学受験のため欠席)とわが家5人で観山荘へ。
2日はみのわスキー場で、子供たちとプライベートレッスンを受ける。夜は去年と同じメンバーで、福島市内で新年会。(夫人連と岡崎教授は欠席) あとから思うと大波乱の1995年がスタート。 ぼくが段取りして明治神宮で国際営業部の安全祈願をしたのだが・・・ 17日、阪神・淡路大震災。 その日はJKUCAT所長のご母堂の告別式があり、朝から磯子に直行。午後出社して、その夜は予定通り国際・経理部合同の新年会に出席。 翌18日、地震被害が拡大し社内も大騒ぎ。みごとに倒壊した高速道路の橋桁が当社施工らしいとのことで、土木部調査団が結成された。 東灘区・深江地区で635メートルの橋脚が横倒しになり、隣接する国道43号に崩れ落ちた。ただ、道路公団の発表で、設計基準で想定された地震の2倍もの揺れが原因で、施工業者の手落ちではないとされ、ほっとしたのだが・・・
3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件。 通勤ラッシュ時に丸の内線、日比谷線、千代田線で神経ガス、サリンが散布された。
僕を含め当時本社があった四谷三丁目に丸の内線で通勤する社員が多かったが、幸い被害者はいなかった。 #231送ります。 次回の福島帰省は8月24, 25になりそう。23, 24日恒例の夏合宿を二本松でして24日、みんなで福島で墓参り。
(2026.7.12up)
|
| Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved. |