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| ◆ 駐在員生活の思い出/帰国の危機
加えて水不足による断水や停電も多くなり、所長のイライラも高じてきていた。 断水、停電が多くてもナイロビは高地で一年中温暖な気候だったので冷暖房はほとんど必要なく(家には暖炉はあったがエアコンなどはなかった)、そこは助かっていたのだけれど・・・
現場でも、短期応援で来ていた日本人職人が90万円相当の現金を入れたバッグを盗まれたり、ガードマンが手引きした鉄筋泥棒が警察に捕まって裁判に証人で呼び出されたり、倉庫から電気パネルとコンダクターが大量に盗まれたりと物騒な出来事が続いていた。 11月にはいると、ケニア乗り込み時から雇っていた現地人コック(インド料理が得意だった)が所長の怒りを買ってクビになってしまい、代わりにたいたいが料理を教え込んだ我が家のメイドが宿舎の食事と昼の弁当をつくることになった。
ある朝、所長から電話で「昨日メイドが指を切って料理が作れないので、今日の日本人職員の弁当を奥さんに作らせてくれ」と急な依頼が。 たいたいも子供たちの弁当作りや日本人会婦人部のボランティア活動の予定があったので、わが家のメイド(掃除洗濯担当で料理は不得手)に指示して作らせたところ・・・
その夜宿舎に呼び出されて、酔った所長に「なぜ俺の指示に従わないでメイドなんかに作らせたんだ」と叱責され、「朝いきなり言わずに、前日に言っておいてほしい」と答えたところ、虎の尾を踏んでしまい「もう日本に帰るか?」と。 さすがにこちらもキレて、「じゃあしょうがないですね」と席を立つと、所長が飲んでいたウィスキーのグラスを壁に投げつけて割る音が後ろから聞こえてきた。
ああ、ナイロビ生活もこれで終わりか・・・と家に戻って、たいたいに「日本に帰ることになりそう」と話すと、たいたいも「まあしょうがないわねえ・・・みんなで帰りましょうか」と慰めてくれた。 翌日、ナイロビ事務所に出社して、覚悟を決めて昼から現場へ出向くと、出迎えた所長が握手を求めてきて、「昨日のことは忘れよう」と。 ほっとすると同時に拍子抜けだった。
12月14日から総選挙キャンペーンが始まり、大使館から選挙期間中はできるだけ日本に帰るか、国外の安全な国に一時退避するよう推奨されていた。
これを受けて、両所長、日本人職員、インド人スタッフは休暇を取って一時帰国することにし、わが家はこの機会に前から行きたかったエジプト旅行をすることにして、航空券を手配していた。 また突発的な暴動が起きる可能性もあるので、日本人間の連絡を密にしようということで、大使館主導で各家庭に無線機を入れることになり、当社でもナイロビ所長宅と我が家に無線機を設置した。
定期的に連絡を取りあって状況を確認することになったが、ケニアの警察・治安機関が無線を傍受する可能性があるので、政府を批判するような言動はつつしむよう注意された。
#219送ります 明日、福島なので今日のうち送っとく。
(2026.4.19up)
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