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| ◆ 駐在員生活の思い出/ケニアで人身事故
Phase Ⅰは共通講義棟、教室、実験棟などの建設(契約金額10億円)で工期12か月、Phase Ⅱは実習棟のみの建設(契約金額4.6億円)で工期も8か月と十分な余裕があり、PhaseⅠと比べるとだいぶ楽な工事だった。 休みも十分取ることができ、ゴルフ、サファリパークへ毎週のように出かけ、ナイバシャ湖、バリンゴ湖、ボゴリア湖など車で行ける距離の観光地へもよく出かけて行った。(通信:NEWS-157)
ぼくは子供のころすぐ車酔いしてしまったこともあって、運転が苦手で大学卒業前に一応免許は取ったものの、その後10年以上ペーパードライバーだった。
それが、1989年家を買った時に初めて車を買い、初心者マークがようやく取れたころにケニアに来て、道路状態も交通マナーも最悪の国(失礼)で車を乗り回すハメになり・・・ ナイロビ事務所への通勤、事務所から大学の現場へToll Road(有料高速道路)を移動などで、ケニア駐在の3年間は我が人生で最も車を運転した時期となって。
Toll Roadでは車に轢かれた野良犬やインパラなどの死骸が道路わきに転がっていたり、警察のネズミ捕り(スピード違反)検査などもよくあった。
そんな中、4月21日の昼食後、プロジェクトのコンサル、JICA専門家とラウンドする約束していたゴルフ場に向かうと、日曜協会の礼拝から帰る人達の間を小学生くらいの男の子が、何かから逃げているように走っているのが見えた。 その子がいきなり車の前に飛び出して来て、驚いてハンドルを右に切ると左側面のドアで跳ね飛ばしてしまい、車は道路から飛び出して左前輪のタイヤが脱落して走行不能に。 (通信:NEWS-159) 「ケニアで人身事故を起こしたら被害者の家族や友人に復讐される恐れがあるので、まず警察に駆け込め」と言われていたので、命の危険を感じ血の気が引いた。 倒れている子の様子を見に行くと、さいわい近くに家族はいなかったようで、話とは違って周りにいた人たちがみんな親切で、側頭部に裂傷を負って泣きわめく男の子とぼくを車に乗せて国立ケニヤッタ病院(医療水準、設備にやや問題ありと言われていた)まで連れて行ってくれた。
その後、現場近くの警察署にも同行してくれ、事故の状況なども説明してくれたのでほんとうに助かった。 動かなくなった車は警察に置いてバスで帰ったが、ズボンのポケットに入れていた財布をすられてしまう。
事務所のアドミ・マネージャーらローカルスタッフに、あとは保険会社にまかせて被害者には会わない方がよいと勧められたけど、何度か病院へ見舞いに行き、ケニヤッタ病院には設備がないので、他の病院へ連れて行ってX線、スキャン検査を受けさせたりもした。
以後の対応は保険会社にまかせきりにしたけど、調査員が来て一緒に事故の現場、警察署などまわったのは半年もたってからで、ちゃんと補償が男の子に渡ったのかはなはだ疑問が残る?
その後しばらくは走行中に道路脇から子供が飛び出してきそうな気がしてびくびくして運転していた・・・
通算34年を超える海外駐在生活で、セルフドライブしていたのは、この3年間と2度目のケニア駐在となった2000年7月から2003年7月までの3年間、それとドバイで初めて左ハンドルの車を運転した3か月だけで、その他の駐在地では運転はすべて会社の運転手まかせだった。 長かった駐在生活を終えて日本に完全帰国してからも、まったく運転はしていない。 たいたいももともと運転が苦手なので、我が家はもう7年以上車なしの生活となっている。
#201を送ります。20年がかりでやっと200号突破したねえ。 岸波から最初のメールもらったのは、2度目のケニア駐在のころだった。 あれって2002年ごろ?
(2025.12.7up)
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