「Ice Cubes」 by Fra's Forum♪

 

 

 

 

 

 


◆ 駐在員生活の思い出/メイドさんは多様な種族

たいたい、子供たちとも激変した環境にもわりとあっさりとなじみ、メイドさん、運転手、インド人エンジニアともすぐに打ち解けて、ヘリテージコート隣の単身者宿舎で一緒に食事したりゲームしたり、カラオケを楽しんだりしていました。

(2年前までのインドネシアでの生活経験が役に立ったのかも。長女はともかく当時4歳半の長男、2歳半の次女などほとんど記憶は残っていなかったと思いますが)

 ケニアは40以上の部族がいる多民族国家で、我が家のメイドさんはカンバ族、運転手はキクユ族とルオー族、コートのガードマンはマサイ族と多種多様でした。

 日本ではなんといってもマサイ族が有名。


 ケニアの国旗はマサイの槍と盾が描かれたものだし、少年ケニアで主人公ワタルを助けるゼガもマサイ族の酋長でした。

(1981年アリナミンのCMで見せたジャンプ力はすごかった)

 ケニア独立の父と言われるジョモ・ケニアッタ初代大統領はキクユ族の出身ですが、成長してからは、マサイ族の酋長と結婚していた叔母の家族と一緒に暮らしていて、マサイ族に紛れて第一次世界大戦のイギリス軍への徴兵を逃れたという逸話が残っています。


(50シリング紙幣のケニアッタ大統領の肖像)

 ナイロビで初めて食事をした時に、食事はあまり期待できないなと感じ、実際いい食材を手に入れるのは至難の業でしたが、あちこち食べ歩いてけっこうおいしいと思える店を開発していきました。

 4つあった日本食レストランも乏しい食材をやりくりしてそれなりにがんばっていたし、インド料理はケニアの経済界を牛耳っていた印僑の経営する本格的な店があり、イタリア料理もケニアのカジノを経営するイタリア人向けのそこそこ本格的な安くておいしい店がありました。

(イタリア人の太ったおばさんが店を仕切ってた)

 なかでもシーフードの「Tamarind」と肉料理「Carnivore」は観光客も多く訪れる高級レストランでした。


 Tamarind モンバサに本店があるシーフードレストラン。オーナーが世界中の料理を食べ歩いてきたそうで、シンガポールのチリクラブが看板料理。

 ここでロブスターの刺身を食べるのが楽しみだった。


 Carnivore(肉食獣、肉食系、の意) その名の通り肉愛好家が大好きな店。牛、チキンの他、ワニ、ゼブラ、インパラ、ダチョウなど珍しい肉を楽しめた。

 ケニア人や白人客の食べっぷりがものすごく、同じ値段を払わされるのは不公平だと本気で思った。


 夏休みも終わって、8月18日日本人学校の始業式があり、長女が4年生、長男が1年生で編入しました。

(次女は近所のブリティッシュスクールのキッズガーデンへ通い、結果一番早く英語を覚えていた)

 #180送ります。

 3月31日、ついに完全退職。

 29日は孫、子等総勢12人(婿二人は仕事が入って欠席)集まってカラオケ大会。

(初孫の高校進学、4番目、5番目の小学校進学祝いも兼ねて大いに盛り上がったよ。)

 (2025.4.6up)

葉羽今回、写真の枚数が多いので、「帰国後の日々編」は来週アップするからね、よろしく!

 

PAGE TOP


  Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved.