|
| ◆ 駐在員生活の思い出/ノストラダムスの大予言 今年は元日から能登半島の大地震があり、不穏な幕開けとなってしまいました。 最初の写真は1999年3月に太太と子供たちがヨルダンを訪れた時の写真です。
この年はノストラダムスの大予言で、恐怖の大魔王が1999年7の月に人類を滅亡させると言われており日本はけっこう騒然としていました。 ヨルダンでも2月7日にフセイン国王が亡くなり、クーデターの噂などもあって政情不安な時期でした。 (結局何事もなかったのですが、年末には2000年問題があり、やはり不安な年越しとなりました) ヨルダンにはアンマンの日本大使館新築工事のため赴任したのですが、当社は1996年にヨルダン川にかかるシェイク・フセイン橋を建設しており、2000年からはもうひとつキング・フセイン橋を建設することになっていました。 どちらも日本政府の無償資金協力です。 1967年まではエルサレムもヨルダンが統治しており、ヨルダン川にいくつもの橋が架かっていましたが、中東戦争でほとんどの橋が破壊され、周辺には地雷が埋められてそのまま放置されていました。 1999年8月23日にはシェイク・フセイン橋の開所式があり、日本から森山真弓(日本初で最後の女性官房長官)や共産党の松本善明、当時の衆院外交委員長・中馬弘毅国会議員も出席して、日本もこれからパレスチナ支援を行っていくという姿勢を強く示していました。 2000年7月13日にはキング・フセイン橋の起工式が執り行われましたが、ぼくはその一週間後、ケニアで初の世界銀行の支援による地熱発電所建設工事に従事するため、ヨルダンを離れることになるのでした。 (ケニアの後も台湾、シンガポール、ドバイ、3度目のインドネシアと流浪の日々が・・・) アンマンのローマ円形劇場。 ヨルダン川。 小さな川だが時々氾濫すると周辺に埋められた地雷が流れて大変な事態に。 中東戦争で破壊されたまま放置されたPrince Mohammed橋。 同じくKing Abdullah橋。 シェイク・フセイン橋入口。 ヘリで帰還する日本の衆院議員団。 弊社が参画したキング・フセイン橋起工式。 そのキング・フセイン橋の施工現場。 既存の古い橋の隣に新しい橋を架ける。 で、コチラは現在。平和な日本の正月。 江ノ電で江の島、鎌倉へ。 江の島遠景。 江の島小屋で海を眺めながらランチ。 シイラのフライ。 小屋のまかない(なめろう)丼。 ホロホロ丼(ほぐした魚の干物) スラダンの聖地。鎌倉高校前踏切。 観光客であふれてた。 55年ぶりに見た鎌倉大仏。 鎌倉八幡宮で参拝。 東京駅中グランスタB1Fの凛。 凛の鶏100%の淡麗わんたん醤油らぁ麺。 美味でしたが、煮玉子つけて1930円と結構なお値段でした。 今回、ヨルダンで撮ったビデオをCDにダビングしたものを更に写真にしたんだけど、 色も落ちてて画像も不鮮明。 (あの頃はスマホもデジカメも持ってなかったのでご容赦) (2024.1.14up) 鶴岡八幡宮の大混雑にはビックリしたろう。ウチの夫婦だったら即決であきらめるところだな(笑) |
Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved. |