◆「蛙(かわず)飛ぶ池はふかみの折句なり」という古川柳がある。 芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」は、句の頭を拾って読むと"ふかみ"になる。芭蕉が折り句を意識して詠んだかどうかは定かでないが、古池の句に"深み”が折り込まれている。
◆広く知られた折句の歌では、『伊勢物語』東下りの段に在原業平が"かきつばた"の五文字を頭に折り込んだ歌が知られる。「唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」
◆業平の折句は『古今集』にもあり、「小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき」 と"をみなえし"を折句にしている。
◆「何となくものぞ悲しき秋風の身にしむ夜半の旅の寝覚めは」は、"南無阿弥陀"を折句にした平安時代の旅の歌。 同じく平安中期に詠まれた 「心こそ心を測る心なれ心の敵は心なりけり」 は、”心”を繰返しの折句とする教訓となっている。
◆教訓を折句にしたものでは、山本五十六の「為せば為る為さねば為らぬ何ごとも為らぬは人の為さぬなりけり」のほか「今いまと今というまに今ぞ無く今というまに今ぞ過ぎゆく」、「偽りを言わぬ人こそいさぎよし偽り多きいやな世の中」、「論語読みの論語知らずは論もあれ論語読まずの論語知らずは」などが知られる。
◆季節を詠んだ歌では
春…「桜咲く桜の山の桜花咲く桜あり散る桜あり」
夏…「瓜売りが瓜売りに来て売り残し瓜売り歩く瓜売りの声」
秋…「月づきに月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」
※小林祥次郎著『日本のことば遊び』や日本折句協会の記事を参考に葉羽要約。 |