◆「ドイツでラジオを売るのは、北極で氷を売るのと同じだ。いや、ドイツは北極より寒いと言えるかもしれない。しかし、うまい氷なら必ず売れる。それを売るのが営業マンだ。」・・・高度成長が始まる前の1960年、後に”史上最強の営業マン”と呼ばれるソニーの小松万豊(かずとよ)がチームを率いてライバル西ドイツにトランジスタラジオを売りに乗り込んだ時の言葉。
◆当時の西欧諸国は自国の製造業を保護するため厳しい輸入制限を設けていた。その中で比較的規制の緩かったのが西ドイツ。しかしその西ドイツは技術立国を掲げ、高性能ラジオを売り出している最中だった。
◆「ムッシュ小松、お前も死ぬぞ」現地で逗留したホテル支配人は、一日五か国を行脚し睡眠時間2時間の強行軍を続ける小松の身体を気遣った。小松は答えた。「苦しいと思った事は一度もない、俺は常に日の丸を背負っている。自分のため会社のためと言うより、日本を何とか豊かにするためにここに来たんだ。」
◆だが、一年経っても西ドイツでは一台もソニーのラジオは売れなかった。チームの一人が過労で倒れ緊急帰国する事態になった。当時の日本製品のイメージは”安かろう悪かろう”で、コメディアンのボブ・ホープがピストルをぶっ放して弾が詰まると「これは日本製だろう」というジョークを売り物にしていた時代だ。
◆小松は「Reserch Makes The Difference(研究が違いを生む)」というキャッチフレーズを考案した。「日本製品は粗悪品じゃない。これは日本人が開発した世界最小の優れた独自製品なんだ。」「ペコペコ頭を下げるだけの営業は嫌いだ。こちらは価値ある製品を提供して、その正当な対価をいただくんだ。」「俺たちが売る一番大事なもの、それはMade in Japanの誇りだ。」・・・小松は方針を転換し、世界に轟くピアノの名器「スタンウェイ」を扱う最高級品店に一週間だけ商品展示をさせてもらう事に成功した。
◆一週間後、スタンウェイの支配人が向こうから商品の仕入れを申し込んできた。目の肥えた消費者こそ風聞に捉われず商品の価値が理解できたのだ。この方法で西ドイツの十大都市を次々と攻略した。
◆もう後がない翌年暮れ、小松は乏しい資金の全てを投入して全国紙アルゲマイネに全面広告を打つ・・「貴方のクリスマスにソニーのラジオをどうぞ」。紙面には商品を扱う高級店の店長の顔写真とサインを並べた。そしてクリスマス・イブ、「商品完売」を伝える電話がひっきりなしに入って来た。小松の胸は熱くなった。「ソニー」の名がドイツ人の心に深く刻まれたのだ。やがてそれは全ヨーロッパに、そして世界へと広がって行った。 |