年の初めの家々では、神棚があればそこに拍手を打ち、仏壇があればこれに合掌。先祖のお墓を清らかにして水をそそぐ人もあれば、神社に参拝し、寺に参り、教会でひざまずく人もある。
鐘が鳴り、灯がゆらぎ、香がただよう。人々の顔は、明るく神妙である。誰もが何かの祈念を捧げているのであろう。手をあわすひとときの間、心をすまし、思いを一つにこらし、ひたすらな祈りの中にいる。
そこには反省もあろうし、感謝もあろう。願いもあれば、誓いもあろう。人間だけがなし得るこの敬虔なひとときである。すばらしいひとときである。
人の世、知恵も大事、力も大事、財も大事、策も大事、しかし何よりも大事なことはこれらがすべて、この素直で敬虔な祈りに裏付けられていることであろう。そこから人間の道が始まる。
年の始めに祈念があるならば、月の始めに祈念があってもいい。そして、毎日の始めにも祈念があっていい。
日々刻々、祈念の歩みであっていいのである。 |