葉羽
2004年の春にダッカの国際協力任務に旅立ったAyumiさんですが、梅雨明けから夏にさしかかる頃、突然のメールが届きました。
その年の7月半ば以降、バングラデシュは未曾有の大水害に見舞われていたのです。
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ダッカの洪水状況
(2004年7月)
(C)シャプラニール
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何と国土の3分の2が浸水し、被災者数は2800万人余りに上っているという状況でした。そのメールをアップしたのが、以下の記事です。
ダッカからのSOS!
Ayumi 岸波さん。サイト、拝見しました。
すごく綺麗に作ってくださって嬉しく思っています。
読んで下さったかたのお手紙も転送してくださってありがとうございます。
さて、既にご存知かと思いますが実はこちらバングラデシュは今年は過去最悪とよばれた88年の大洪水の水量を上回る洪水に見舞われており、私たちシャプラニールもただいま緊急救援活動に懸命の努力をしております。
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ダッカの洪水状況
(2004年7月)
(C)シャプラニール
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ただ影の薄いバングラのこと(笑)なかなかニュースにもなりにくく、もし岸波さんのサイトでも本件ご紹介頂ければとても嬉しく思います。
洪水関連の特設サイトを開設しました。トップページからご覧頂けますので是非ご覧頂けると幸いです。
写真も私が撮ったものも多く含まれています。
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島と化した河川合流地点
(2004年7月)
(C)シャプラニール
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しかし、今年は日本も猛暑とうかがっております。
新潟の洪水も大変な被害がありましたね。
色々な所でお天気にひずみがでているのかしら、と心配になります。
そろそろお盆でもありますね。
くれぐれもお体にお気をつけてよいお休みになりますようにお祈りしております。
それでは、失礼します。
Ayumi (2004年8月11日)
7月末の時点で外務省から発出されていたバングラデシュの渡航情報は、次のようなものでした。
【バングラデシュ:洪水による被害】外務省
送信日時:2004/07/28
情報種別:渡航情報(スポット)
1.バングラデシュは7月半ば以降、大規模な洪水に見舞われており、国土の3分の2が浸水、被災者数も2800万人余に上っています。首都ダッカも半分が浸水しています。ダッカを含む多くの地域では、北部からの増水が依然として流れ込んでいるため、7月末から8月にかけて状況が更に悪化すると予想されます。
2.国内の交通網については、首都ダッカと一部地域を結ぶ幹線道路が寸断されたり、北部シレットの国際空港が一時閉鎖されるなどの影響が出ています。
3.また、この洪水により下痢症の患者がバングラデシュ各地で急増しており、伝染病(感染性腸炎、腸チフス等)発生の危険性も高まっています。水道水を飲まない、生野菜の摂取や不衛生な食事を控えるなどの注意が必要であるほか、汚水に触れると皮膚感染症にかかる危険性もありますので注意して下さい。なお、現在、バングラデシュではデング熱も流行していますので(7月22日付スポット情報「バングラデシュ:デング熱の流行」参照)、蚊に刺されないよう注意が必要です。
4.バングラデシュへの渡航を予定されている方は、「バングラデシュ洪水予想警報センター」等から最新情報を入手し、危険を避けるよう努めて下さい。
○外務省 海外安全ホームページ: http://www.mofa.go.jp/anzen/ |
そして8月に入って、共同通信が報じた現地の様子が以下です。
水汚染で感染症被害深刻 バングラデシュ洪水
[ 08月06日 20時19分 ]共同通信
記録的豪雨で深刻な洪水が起きているバングラデシュで復興支援活動をしている市民団体シャプラニール(東京都新宿区)の白幡利雄ダッカ事務所長が6日、一時帰国して都内で記者会見し、水の汚染による感染症などの被害について報告した。
白幡所長によると、バングラデシュでは今年7月半ばから、上流部の大雨で急激に河川の水位が上昇、1998年以来の大洪水になり、コメなどに大きな被害が出た。
村は1、2カ月にわたって水につかった状態で激しい下痢を伴う感染症が流行。また村人は仕事ができないため、経済的にも困窮している。被災者は約3300万人。 |
上の新たな情報では、既に伝染病が発生し、被災者数が一気に500万人も増加しています。
以下は、シャプラニールのサイトで報じられたバングラデシュの写真です。
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水に浸かって動けないリキシャ
(C)シャプラニール
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Ayumi (2019年8月1日リニューアル・アップ)
葉羽
「岸波通信」では、以上の情報を緊急アップすると同時に、シャプラニールの救援募金募集コーナーへリンクをはって支援を呼びかけました。
この後、水が引いたあとの二次救援活動として、Ayumiさんらシャプラニールのスタッフは、49万3千世帯へ向けた巡回医療チームの派遣や家畜牛へのワクチン接種、野菜の趣旨配布、食料配布を実施しました。
この時のAyumiさんたちを取り巻く状況は、伝染病の危険もあるということで水道も使えず、道路も寸断されている中、まさに命がけの国際協力活動ではなかったでしょうか。
その活動は、やがてJICA(国際協力事業団)の支援も受けて拡充され、かけがえのない多くの命が救われました。
この事件のことは後々まで僕の記憶に残ることになり、この出来事も含めて書いたのが、次の詩です。
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