暑中お見舞い申し上げます。
暑中お見舞いも地球温暖化で季節感がなくなり、ショッチュウお見舞いになる。
正確にはこの時期はすでに「残暑お見舞い」になるらしいが、細かいことは、どーでもいいザンショだ。
異常気象もいつもの事で「異常」でもなくなり「今までに経験したことがない」が流行語だが、一人ひとりの人生は誰もが「今までに経験したことのない」人生をそれぞれに歩んでいる。
明日が恐らく今日とほぼ同じと予想されても、誰もが未体験ゾーンで今までに経験したことない一日一日生きるのが人生だ。
「♪明日がある、明日がある、明日があるさー」だが何事も先送りの私にとっては励みになる人生の応援歌だ。
なるべく明日で済むことならば明日にしたいし、できればやらずに済ましたいダメな私だ。
「♪いつまでたってもダメな私ねー」は「敏いとうとハッピィ―&ブルー」だが、「年とるとハッピィ―&ブルー」で、老後は幸せ(ハッピィー)と憂鬱(ブルー)という意味か。
老後がバラ色ではないのは承知だが「老後破産」とか言って不安を煽る言動は慎んでほしい。
低金利の銀行が株屋や保険屋とつるんで、マスコミも利用して社会不安をつくり老後資金の運用で商売する。
仮に「老後のタノシミ」が「老後のカナシミ」になっても全ては自己責任で業者を恨んでもしかたないが、恨みがつのると呪いになる。
ハッピィ―&ブルーの歌に「♪私祈ってます」というのがあるが「いのってます」を少し変えると「のろってます」だ。
「祈る」ことも行き過ぎると「呪う」ことになり、「♪私呪ってます」だが「呪い」はネガティブな「祈り」の一つか。
呪いだが、子供の頃にワラ人形を見てビックリして走って逃げてきた思い出がある。
きも試しで、昔は土葬が行われたという林の中に入って探検した。
日中でも日が入らない暗い所で遺体と共に埋められた埋蔵品が時々見つかるなどと、まことしやかに言われていた。
何かあると思い恐る恐る近づくと、それは真新しいワラ人形だった。そばには燃え残ったロウソクもあった。
ここで誰かが呪ったのか。それ以来その場所には行ってない。
もうかれこれ半世紀以上前の事だが、その後の私の人生の小さな不条理は、あの時に見てしまったワラ人形の呪いだったのか。炎天下の中、上野で無駄に水撒きしているのは呪いの罰ゲームなのか。
過日、上野で熱中症の症状を感じやっとの事で自宅に戻ってきたが、水撒き活動に暑さは天敵だ。
老体にムチうちながら水ウツ活動をしているが、少しでも楽しようと水を入れるバケツの底に小さな車を工夫して付けた。
上野で顔なじみになった方々から工夫が褒められて嬉しい。何事も改善で世界のトヨタの合言葉はカイゼンだが、トヨタの社員食堂にカイゼン丼というメニューはないか。
丼ぶりものではカツ丼、天丼、親子丼などが人気だが、昔学生の頃によく食べていたのが卵丼だ。玉ねぎの卵トジで、その食堂では一番安いメニューだった。
いつも卵丼では恥ずかしいので、たまには奮発してカツ丼も食べたが玉丼が定番だった。
店員のおばちゃん(と言っても今の私より若かったかもしれない)にもすっかり覚えられ顔馴染みになったが今でも元気だろうか。
ずいぶん前に訪れたが駅前再開発でビルが立ち並び、すっかりもとの商店街の面影はない。
よく行った焼き鳥屋は立体駐車場になっていた。
駅前再開発は一帯全体が立体になることらしいが「一帯全体立体」という六字熟語はないか。
いつも通いなれた道路脇の一画が突然さら地になっていて、元の建物が何だったのか思いだせない事がよくある。
見慣れた風景がなくなり記憶もしだいに風化するが、記憶を記録すれば風化しないのか。
キオクをキロクするキリョクもないダメな私だが、記録しなければ風化する記憶は風化させるのが、むしろ自然だ。
時々声高に「○○の記憶を風化させない」などと言う人々がいるが、つらい過去 は適度に忘れて風化させた方が生きやすい。
長い人生の中で恨んだり、呪ったりする事はよくあるが、時間の経過による記憶の風化は「浄化」だ。
忘れる事の よさを忘れてはならない。
(2017.8.16)アンブレラあつし |