前号の水戸黄門だが、黄門様はやはり東野英治郎がいい。
里見浩太郎はスケさんだったのに、いつも間にか二階級以上特進して黄門様になっている。
階級社会では絶対にありあえない話だが、何かの忖度(ソンタク)があったのか。
できればソンタクも損得も抜きで正しく生きたいが、二宮ソンタクという偉人はいない。
西村晃も黄門様を演じたが顔が悪役顔で、むしろ越後屋が似合う。
うっかり八兵衛や風車の弥七は名脇役だが、もう一人、お銀を忘れてはならない。
由美かおるって子供心に名前が苗字で不思議な感じがした。
漫才コンビにはよくあるネーミングだが、「ユミ・エミ」はザ、ピーナッツで漫才ではなく昭和を代表する歌手姉妹だ。
苗字は伊藤だが今となっては二人ともイトーしい。
黄門様は江戸時代の話でテレビ番組だが、映画の「フーテンの寅さん」と「黄門様」は共通点がある。
黄門様は権力側で、トラ様は反権力側で正反対の立場だが、全国を行脚しながらストーリーが展開しエンデングは、いつも同じでワンパタ
ーンだ。
脇役の役どころも同じでマンネリすぎて面白い。ただ敢えて暴論を山田監督に進言すれば、寅さん映画に倍賞千恵子の入浴シーンがあれば、もっとウケタ。
相変わらずの不謹慎な問題発言で恐縮だが、映画って大監督をみんなでタテマツル封建的な業界だ。
「小津安二郎の東京物語って退屈でつまんないし、黒沢監督も巨匠とかいうけど、どーってことないじゃん。タケシなんか大根役者で東映のヤクザ映画と同じ展開だし、大島ナギサのシンドバットかい。ジブリってアニメで制作費が安く、経費を宣伝費に回してブーム演出ってかんじ」なんて酷評したら映画業界からは追放で「サヨナラ、さよなら、サヨナラ」か。
話は時代劇に戻るが、銭形平次では銭を投げるが投げ銭ではないし、投げた後に手を合わせて拝んだりはしない。
遠山の金さんは桜吹雪の入れ墨だが、銭湯やサウナに入れないのか。いや「この桜吹雪が目に入らぬか」と脅して入るに違いない。
大岡越前は大岡裁きだが、当時は裁判員制度もなく奉行様のやりたい放題か。
子連れ狼だが子供を連れまわし父子家庭の幼児虐待で児童相談所に通報される。
木枯らし紋じろうは皆の前で理科実験はしないし、あの長いツマ楊枝は間伐材を利用してエコなのか。
暴れん坊将軍は北の方に今も居て、必殺仕事人をつかってミッションしたばかりで脅威だが、アメリカのトランプ将軍とはチャンバラしないでほしい。
座頭市は白杖を持ってないが障がい者手帳は持っていたのか。
「♪あんな時代劇もあったねと、いつか話せる日がくるわ」だが共通話題で盛り上がる同世代も桜が散るように徐々に減っていく。
NHKの大河ドラマは最近は見ないが昔はよく見た。幕末が舞台になると、西郷隆盛の薩摩弁や坂本龍馬の土佐弁などが幅をきかすゼヨ。
幕末の志士は元祖観光大使で地方観光にかなり貢献していて、ふるさと納税以上の効果でゴワス。
今ふと思ったがドラマでは、秀吉は大阪弁を喋らへんし、信長も名古屋弁を喋らにゃーでよ、これって変だが誰も指摘しない。時代考証や方言指導の担当者にタントウ直入に聞いてみたいが愚問か。
公文式の塾でクダラナイ質問をするとグモン式になるのか。
確かに信長の強いイメージに名古屋弁は合わないし、伊達正宗が「ダッチャ」を連発するとダッチャ正宗になってしまう。
春休みで帰省した孫のベビーカーを押す機会があったが、思わず「♪しとしと、ぴっちゃん、シト、ピッチャン」と口ずさむ昭和じーさんの私だ。
孫は何でも真似する時期なので言葉には要注意だが、いたずらに「大五郎」と呼びかけたら振り向いて「じーチャン」とチャンを強調して反応してきた。
しばしの子連れ狼気分を楽しんだが、今後、ウケ狙いでスーパーで焼酎の大吾郎をカートに入れて、一人「しと、しと、ぴっちゃん」とささやきながら歩いても誰も振り向いてはくれないと思う。
振り向くといえばエメロンシャンプーの見返り美人も、今は見返りおばさんになっているのか。
「♪泣いているのか、笑っているのか」って高齢になるとシワに表情がうずもれて区別がつかなくなることがよくあるが、振り返れば人生泣き笑いだ。
(2017.4.19)アンブレラあつし |