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その253

バカバカしい、はかばかしく無い話

 今年、古希を迎えた私だが、気がつけば「昭和」を生きた時間より「平成」「令和」を生きた時間のほうが、長くなってしまった。

 昭和の人生は全体の半分以下になって、これからは、長生きすればするほど、昭和の比率は相対的にますます減って、「昭和」が小さく遠くなっていく。

 今まで「昭和原人」と自信を持って自認していたが、昭和が私の人生の半分以下になったことを知り、そのジシンも、シンド2くらい揺らいだ。

 人生も折り返し点も過ぎたが、残りの余生にもシンドイことがあるのか。

 多少のイロイロはしょうがないが、震度5や6くらいのシンドイ試練に耐えるジシンはない。

 なんて書いてはみたが、ヤッパ生きてる以上は、これからもキット何かアルアルで、何があっても老人なりに対処するしかない。

 「老人の日」が「敬老の日」になって久しい。祝日が土日に連続すると「おまけ」みたいで重みがないが、毎日が休日の隠居老人の戯言か。

 前号で余生は「二枚目半」をめざすなんて書いたが、「二枚目半」のハードルはケッコー高い。

 「目標は高い方がいい」と言うが、現実的にはキビシーので、目標を「2.9枚目」くらいにする。

 「二枚目半」を目指す「動機」は異性にモテたいからで「動機不純」だが、高齢になると「動悸息切」で無理はできない。私の「同期」も「同期息切」で、すでに他界した方がケッコーいる。

 以前にも書いたが、今年の2月末に実母が、6月中旬に義母が他界した。

 他界すると「高い」ところに召されるらしいが、遺骨は墓の下の「低い」ところに納骨した。

 新盆も終わり、一連のアレコレは終わったが、最後に「墓誌戒名彫刻」というのがある。

 石屋さんに依頼したのだが、申し込み時に位牌を持参してほしいという。

 石屋さんに行くと、職員が位牌の面裏の写真を撮った。書き写しの間違いを無くすためらしい。

 確かに遺族も高齢になると、字の間違いや勘違いも多くなる。石に間違って彫刻してしまうと修正が難しい。

 実際の彫刻に立ち会う必用はなかったが、事前にお墓の写真と彫刻場所の写真が自宅に郵送された。最終確認をしてほしいという内容だった。

 慎重に仕事を進めなければならないので、石屋さんも大変だが、石屋さんは「石橋をたたいて渡る」のか。「石橋をたたく」のはいいが「墓石」をたたいたらバチがあたるな。

 石屋さんには墓石の屋外展示場があって、今風のデザイン墓石も数多く並べられている。

 昭和ジーサンの私には奇抜な墓石は違和感があるが、遠くからでも目立って分かりやすい形は、物忘れしやすい高齢者の遺族にはいいのかもしれない。墓地で迷って「一人ぼっち」になっても困る。

 大阪の石屋さんが「墓石って儲かりまっか?」と聞かれて「ボチボチでんな」と返答するとウケまんな。

 「ハカバカ」しく無い「バカバカ」しい墓のジョークを、繰り返す私はきっとジョーブツできない。 

 白州次郎の遺言は「葬式無用」「戒名不要」でカッコいい。

 成仏できそうも無い私は「葬式・戒名無駄」だが、お寺に納骨も「ノー骨」と断られると家族もツライな。

 (2024.9.14)アンブレラあつし

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