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その197

浪花節だよ人生は

 前号「人生カルタで、人生カタル」は「掟破り?」の短歌のみの投稿にした。

 いつもの私のダラダラとした駄文はタブンこの暑い夏には馴染まないと思い、簡単に短歌にしたが、結果はサラリーマン川柳のようになってしまった。

 俳句は五七五に季語、短歌は五七五、七七のお約束があるが、今回いくつかの作品は五七五、七七にダジャレを入れてみた。

 自分で自慢するのも心苦しいが大変面白い。

 この「ダジャレ短歌」を主宰して「師匠、家元」になろうと思ったが昔から、この種の言葉遊びは短歌の世界でもあったらしい。

 昔からヒマな人間はいる。私の短歌は「嘆歌」で「人生の嘆き節」だ。

「♪浪花節だよ、人生は」だが「♪嘆き節だよ、人生は」だ。

「♪鰹節だよ、人生は」なんていう「ダシの素」のCMソングはないのか。

 味の素、ダシの素、いろんな「素」があるが、昭和の昔、ワタナベの「ジュースの素」なんていう粉末ジュースがあった。

 飲んだ後、舌がジュース色になる今思えば考えられない「飲み物」だが、あの頃はみんな「ウノミ」にしていた。

 俳句や短歌は学校の授業でも学習したが、高校1年の終わりの期末試験で古文、漢文が赤点で、春休みに補習授業をして追試験を受けた。

 高校1年2年の担任の先生は古典のH先生だったが、私が追試験で合格点をとったら、大変喜んでくれた。

「がんばったな、君はやればできる」と誉めてくれたが、高2の終わりには物理が赤点で、春休みに追試験を2回も受けた思い出がある。

 今思えば落第させて在籍させて置くより早く卒業させたほうがいいと学校側が判断し、ゲタを履かせてくれたに違いない。

 そのH先生に教員になってから会ったことがある。私が三度目に赴任した学校が、たまたまH先生が住む町で先生の家を訪ねた。

 私が教員をしている事に驚いたようすだったが、「中学で美術を教えていて、美術は頭は使わないから、勉強ができなくても大丈夫なんです」なんて自虐的に冗談を言ったら、H先生は「そうだな」と妙に納得していた。

 高校の漢文では、漢詩で五言絶句や七言律詩なんて難しいことを学んだが、「無言絶句」なんていう形式はありませんから。

 ツーカ、無言絶句では言葉にならないので詩にならない。

 漢詩で有名な杜甫だが、彼は流浪の詩人で中国各地を旅したらしいが、乗り物には乗らず「徒歩旅行」だったのか。

 失意の詩人とも言われたが「とほー」に暮れて「トホホ」な心情になることもあったのか。

 前号で取り上げた「古希」だが、杜甫の詩の一節「人生70年、古来希なり」に由来するらしい。

 サスガ、杜甫だが彼は70歳前に亡くなり古来希な人ではなく凡人だったのか。

 白居易という詩人もいたが、彼が相撲をとると「はっきょいー、のこった」になって面白いが、このダジャレ、「いさみ足」で「物言い」がつくな。

 美術教師は頭を使わないし楽だと思ってなった。

 美術準備室で授業の合間にコーヒーを飲みマイペースで、忌野清志郎の「♪僕の好きな先生」のイメージだったが現実は甘くなかった。

 担任や部活動で忙しいし、生徒指導が大変になる時もある。同僚で辞めた先生も何人かいるが真面目な性格の方が多い。

 僕もマジメなので辞めようと思った事もあったが、その時の校長から「君のように変わった人が、これからの教育には必要だ」と誉められ、その気になって続けていた。

「♪飲めと言われて、素直に飲んだ」

「♪肩を抱かれて、その気になった」あの時の校長とボクです。

 (2022.7.16)アンブレラあつし

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