遅くなったが書かないよりはぜんぜんましだ。全然なるまま思いつきで書いている。
前回書いた九人制バレーは「旧人制だ」など書けばよかったと妙な反省もしている。信念もミニスカポリシーもない。ただ面白ければいいと思う。
ただ一部には受けるが、他の多くの方にとっては意味不明な文も相変わらず多い。でもマイペースだ。
東京へは何度行きましたね。
初めて東京に行ったのは修学旅行だったと思う。その時、上野動物園や西洋美術館にも行ったはずだが記憶がない。
一番の思い出は修学旅行最後の晩に男子が大部屋でクラスの女の子の人気ランキングを行い、それが女子にバレて大ひんしゅくをかった事だ。
昨年の同窓会のあとのクラスの二次会で中学時代に想いをよせた人をカミングアウトするという余興を企画した。
あれから45年経たが、ちっとも成長していない。思考が停止している。
しかも提案した私がそれぞれのコメントをよく聞いておらず、あとになって周りの旧友に聞きなおして、ややひんしゅくをかった。
記憶力も体力も低下している。
最近はとみに体力の衰えを感じ水撒活動も休み休みやっている。
ばかな事は休み休みイエーと喚起するが体がついていかない。
売店前の自販機でコーヒーを買い、隅のイスを選び目立たようにして休む。
傘にバケツを持つヘンなおじさんだけに回りにも気をつかう。
ヘンなおじさんを敬遠して客が遠のいては申し訳がない。
芸名は「世間亭」だった。世間ていを気にして生きる。
過日自宅に上野で顔なじみのIさんから電話があった。最近私を見かけないのでという安否確認の電話だった。
Iさんは東京在住だが福島の双葉町出身でボランティアで障がい者の支援をしている方だ。主に日曜日に外出支援で上野動物園に来る。
昨年の11月に会った時に色々と長話をしたらIさんの叔父さんは私の高校の校長だった。
I校長には高校時代に校長室に呼ばれ指導を受けた記憶がある。
高校時代、私は新聞局の局長だった。テング熱でなく左翼熱に罹っていた。
あの頃は「風に吹かれて」左に左にと流された。
私の私の頭は左ききだった。キャンディーのような甘い思い出ではない。苦い思い出ぼろぼろだ。
新聞記事の内容で学校側と対立し新聞発行ができなっている時に部室に不謹慎な「落書き」をしたという事で新聞局が活動停止になった。
落書きの内容は「顧問殺害計画」で部室内の黒板に書いてあったらしい。
それを見た顧問の先生の一人が激怒し問題になって放送で校長室に呼び出された。
私とE君、K君が呼ばれ事情をきかれたが私は見覚えがなかった。
←「K君」は僕ではないので念のため。岸波
あとになってからK君が書いたらしいと友人から聞いたが、その時は犯人は分らず結局は連帯責任で3名が指導の対象になった。
内心は顧問教師の被害妄想だとも思ったが、今考えるとI校長の温情で処分が免れたのかもしれない。
ほんの悪戯でやった落書きが新聞局の活動を中止させる格好の口実になってしまった。
今、上野で水で地面に落書きしているがすぐに消えるのでお咎めがない。証拠を残してはいけない。
水にながせない事は、すいせんできない。
高校の卒業アルバムの新聞局写真にE君K君は写ってるが私は参加しなかった。活動停止に対する元局長としての「抵抗」だった。
よく学生時代は何をやってましたかと話題になる。
中学時代は陸上部で補欠で・・・と話すが高校時代は口ごもる。運動部でも学生運動だ。思い出として語る事にはまだ抵抗がある。
英語でいうとtiger horse(トラウマ)だ。苦い思い出だ。
苦いという字は苦しい字と同じだ。「若いという字苦しい字に似てるわ」という歌があった。
歌手を調べたらアン真理子という歌手名だったが最近はアンマリ聞かない。
学生運動もアンマリ聞かない。経験者の多くもダンマリしている。
左折という字は挫折という字に似ている。左翼運動に走って挫折する。左折だけに巻き込み注意だ。
思想もないのに付和雷同で巻き込まる。今考えると思想やポリシーがあった訳ではない。かっこつけだ。
運動も勉強もイマイチぱっとしない自分を目立たせるためのスタンドプレーだ。
高校の担任は漢文の先生で「付和雷同」という言葉を使って諭してくれたが私には馬耳東風だった。「中庸」という漢字も教えてくれたが「重要」には感じなかった。
附属高校での教育実習に加えてなぜか母校でも実習をすることになり肩身のせまい思いもした。
職員室に顔を出すと冷たい視線を感じるので美術準備室に引きこもっていた。美術の先生は当時の先生ではなく、その後新たにきた先生で助かった。
暇なのでぼーっとしていると、その先生が戸棚からウイスキーを取り出し飲んでいいというのでちびちび飲んでいた。
時々生徒がくるので油絵の具の溶剤のビンをあけて匂いをごまかした。ばれていたかもしれないがウイスキーはバレンタインだった。
美術準備室では指導教師と芸術談義で時間が過ぎた。
過大評価されたのか気にいられたのか私の教育実習の評価は「A」だった。
大学に戻って指導教授が「A」の評価に感心していたが私は無関心をよそおった。
教育実習日誌は、最終日にまとめて書いたが毎日書いたようにわざと汚したりペンを替えたりした。
小学校の夏休みの日記と同じ工作だ。小学校では美術は図画工作という。
なまるとジガ工作だ。やることがせこい。
10年くらい前になるが、教育実習でお世話になった先生の車イス姿を県立美術館前の芝生で見かけた。
奥さんらしい方が車イスを押していたが見るかげもなくやつれ、かける言葉もなかった。あとから聞いた話だがアル中に加え脳梗塞になったらしい。
人生は非情だが非常口から逃げる訳にはいかない。現実に向かい合わなければならない。
私も週末は地面に向かいあっている。G面だ。Gメン75と非情のライセンス、キイハンターの区別がつかない。
丹波哲郎はなくなったが渡辺「哲郎」君は演奏家として活躍しているらしい。
上野の文化会館の裏で地面に水を撒いている怪しい人がいたら私だ。哲郎君気づいたら声をかけてくれ。私は地面に水をかけている。
そういえば新聞局の顧問教師との話合いは、いつも水かけ論だったが
今でもそれを引きずっている私だ。
地面への落書きはG面の告白だ。節分は豆をまく。私は水をまく。
オニは外、オニは「そっと」しておいた方がよい。寝た子を起してはならない。おにのような顔で泣く。赤鬼だ。
泣いた赤鬼と泣き寝入りした青鬼がいる。青鬼は泣き寝入りせずに赤鬼に過払い請求できるが友情がじゃまをする。
いつまでも耐えることなく友達でいるのは難しい。今日の日はさようなら、またあう日まで。
夜と朝の間に一人書いている。
(2015.2.4)アンブレラあつし
(注)内容は事実に基づいていますが、事実の認識には個人差があります。 |