その163 |
出会いと別れの春、その記憶もやがて消えていく。 |
過日、久しぶりに上京して上野公園で水撒きアートをしてきた。緊急事態宣言中だったので自粛していたのだが、我慢できずに行ってしまった。
私は忍耐力も体力もない昭和Gさんで、ヒンシュクだがコロナの終息を待っていたら、人生が終息してしまう。
残り少ない余生が「巣ごもり」で終わってしまっては悲しいが、昔の老人の「隠居生活」って「巣ごもり」のことだったのか。
人生に達観すれば抵抗なく「隠居」できるのだろうが、なかなか「達観」できない精神年齢「若干15歳」のボクです。
「水戸の御隠居様」は水戸黄門だが、「黄門諸国漫遊記」は元祖ディスカバー・ジャパンで、ゴーツー・キャンペーンだな。
黄門様は葵御紋の「印籠」があれば、どこでもフリーパスなので、各施設の窓口で、私のように高齢者割引のために運転免許証を見せる必要もないのか。
マイナンバーカードがなかなか普及しないが、名称を変えて「印籠カード」にしたらウケる。
病院の窓口で「印籠見せていただけますか」なんて言われたら偉くなった気分で嬉しいな。
葵御紋は徳川家になってしまうので、パスポートと同じく菊の御紋にすると、さらに格調高くなり高貴な気分だが、恐れ多いか。
黄門ドラマのおきまりの決めセリフ「このお方をどなたと心得る。恐れ多くも、さきの副将軍、水戸光圀公なるぞ」と言われても、実際に顔を見た人は、庶民では誰もいないので本物かどうか判断はできない。
さきの副将軍と言われたって、今のようにテレビや新聞に顔写真が露出する時代ではない。
水戸黄門で、黄門様や助さん格さんは出演者が二代目三代目と役者が替わっているが、「八兵衛」や「お銀」はずっと、高橋元太郎と由美かおるでスゴイ。
ウッカリ八兵衛だが、高橋元太郎はスッカリ「八兵衛」になっている。
お銀は「かげろう、お銀」とも言うらしいが、入浴シーンは「湯けむり、お銀」で色っぽい。
時々思い出したように始まる「水戸黄門」シリーズだが、今後もずっと続くような気がする。
「八兵衛」と「お銀」の後継者だが、今は両者とも元気そうで当面は心配ないが高齢だ。
ゆくゆくは考えなければならないが、なかなか適役が思いつかない。
水戸黄門は国民的人気番組でスポンサーも松下電器で長く「明るいナショナル」だったが、最近「パナソニック」と改名してしまった。
「♪明るいナショナル、明るいナショナル、ラジオ、テレビ何でもナショナル」は、昭和の生活応援歌で各家庭に電化製品を普及させたが、今後も日本は明るいのか。
日本の将来は「ナジョナルのか」と創業者松下幸之助さんが心配したので「松下政経塾」をつくったのか。
話は上野公園に戻すが、私は「印籠」はないので、マスク一袋と携帯用除菌スプレーを持って、自分なりに感染対策を強化し上京した。
昨年はガラガラの新幹線車内や上野公園では、時々はマスクを外すこともあったが、今年は公園でも常時マスクをしていた。
手作りフェイスガードとマスクをして、水撒きアートをしていたら、来園者に「公園の除菌ですか」と聞かれてしまった。
「やり過ぎ」は誤解を招くので、マスクだけにしたがマスクは二重にしてコロナ対策をした。
当初は息苦しかったが、何でも「慣れ」だ。自分で出来ることは努力するしかない。
10年前の大震災、津波、原発事故、そして今回のコロナだが、結局最後は自分の命は自分で守る覚悟が必要だ。
政府などに「対策、対策」と言うが「想定外」の事態になれば「対策」も役に立たない。
それに「下手な対策」は、間違った「安全神話」の宣伝になり逆にダメージを大きくする。
上野公園では、顔見知りらしい人から挨拶されることがある。
マスクで顔が隠れていて、誰だかよくわからないが、「マスクをとってくれますか」とも言えず「どーも」とか言って挨拶を返す。
マスクをすると表情は目だけなので「目つき」の悪い人は損するな。
振り返れば、2012年に上野公園で水撒きアートをやり始めたので今年で9年目だ。その間、公園も整備され、すっかり様変わりした。
「JR上野公園口」という小説があるらしいが、そのJR上野公園口も移動され新しくなった。
昔のごちゃごちゃしたイメージとは違って、すっかりオシャレだ。
昭和Gさんの私には馴染まない違和感のある空間だが、東京オリンピックに合せてリニューアルしたのだな。
携帯電話や交通系カードの普及で、最近の駅には自動券売機や公衆電話が少ない。
駅員が立つ改札口、中に人が居る切符販売窓口、長椅子のある待合室、そして売店というのは昭和の駅の風景で、過去のものになり今は見ない。
駅が外に繋がる通路の一部のような空間になっていて通過点のようだが、バリアフリーになるし、それが便利で効率的なのだろう。
元のJR上野公園口から道路を渡り、東京文化会館の前に顔見知りの挨拶を交わすガードマンがいたが数年前からいない。
彼の所属する警備会社の上野公園との契約が切れ、配属変えになったらしいが、今も東京の空の下にいるのだろうか。
あるいは田舎に帰ったのか。春は出会いと別れの季節だ。
私にとって上野公園は出会いと別れの人間交差点だが、別れた人の記憶も地面に撒いた水のようにやがて消えていく。
テレビの時代劇だが、背景の風景を集中してよく観察すると、たまに面白い事に気がつく。
道に江戸時代にはありえない自動車の轍が少し残っていたり、一瞬だが遠くの背景に電線や電柱が間違って映ったりする放送事故だ。
「殿、殿中でござるぞ」って「電柱」ではありませんから。
(2021.3.27)アンブレラあつし |