昭和60(1985)年1月6日(日)、当時は東大・森教授の下に会社からの研究生として通っていましたが、お正月休み最後の日ということで1歳間近だった息子を連れて家族で、車で国営武蔵丘陵森林公園(通称 森林公園:埼玉県比企郡滑川町)に遊びに行きました。
国営武蔵丘陵森林公園
翌7日は初出勤でしたが自然な流れで、夕方から教授室での新年会となりました。
帰りは丸ノ内線、そして東武東上線で川越駅下車ですが、飲み過ぎ状態でしたので東上線は座ってゆこうと思い、急行に比べて1.5倍くらい時間が掛かりますが、座りやすい各駅停車に乗りました。
各停は川越の1つ先の川越市駅終点が多いのですが、乗ったのは森林公園駅(9つ先)終点だったのですね。
乗ったら直ぐに寝てしまい、気が付けば森林公園でした。
森林公園駅
昨日遊びに来たところかと、寒い中で我ながら自己嫌悪に陥ったことはよく覚えています。まだ上り電車があったことが唯一の救いでした。
ある時は森林公園の1つ手前の東松山駅まで乗り過ごし、下車したら駅舎の電灯が消えてしまい、どうやって戻るのか不安になりましたが、たまたま駅前にタクシーが1台だけ停まっていました。
深夜の東松山駅
長野県の上田工場勤務時に月1、2回は東京の本社に出張していました。
会議後の飲み会等で終電利用もしばしばで、長野新幹線(当時)で1つ先の長野駅まで乗り過ごしたことは2度ありました。終電ですので当然上りはなく戻りはタクシーです。
今なら北陸新幹線で金沢まで行ってしまうのかと心配になりますが、終電は長野駅が終点です。
葉羽 乗り過ごし・・経験ないなぁ、さすが僕! でもウチの拓郎とサオリが幼稚園の時、なかなか帰ってこないと思ったら、方木田でバスを降りないで終点の土湯温泉まで行っちゃった事があった。運転手さんに訳を話して帰路で降ろしてもらったそうだが、焦るよね~こういう時。 ←それはDNAの筈だが。サテ??