浅田次郎のエッセイ集「つばさよつばさ」のある章に「・・・わが国は突出的な自販機大国なのである・・・」と記してあり、渡航経験が豊富とは言えない私は、そうなのかと頷くしかありませんでした。
「つばさよつばさ」浅田次郎
ところで自動販売機をいつ頃から使っていたか記憶を辿ってみますと、大学に入ってからだったと思います。
昭和48(1973)年に大学入学し一人暮らしを始めましたが、入浴は銭湯でした。
銭湯の自販機
入学当時は銭湯が48円で帰りに自販機で買う缶コーラ(確か250mL)は50円でした。
それが4年後の卒業する頃には銭湯120円、缶コーラ80円で、銭湯&缶コーラは4年で倍に値上がりしました。
私が大学にいた4年間は、昭和48年秋の石油ショックに端を発して、今の若い人は知らないでしょうが「狂乱物価」なる言葉が日々飛び交うほど、物価が上昇しました。
狂乱物価抗議デモ
その様を言い表すために銭湯&缶コーラの話を引合いに出していましたので、記憶に間違いはありません。
資料を紐解きますと4年間で国電(現JR)初乗運賃30→60円、ハガキ10→20円、映画館入場料800→1,300円、コーヒー1杯130→230円、大卒初任給57→94千円、等々。
そんな時代でしたので、卒業間際に同級生と2人で初任給10万円が毎年10%ずつ昇給すると定年退職の頃の給料にはいくらになるか計算してみました。何と400万円。
物価も同じように上がれば生活水準は変わらないわけですが、400万円という数字に思わずほくそ笑んでしまいました。
でも、入社1年後の賃上げで呆気なく画餅と帰しました。
捕らぬ狸の皮算用ではありましたが、言ってみれば只の宝くじでいい夢を見させてもらったようなものでした。
ツーさん【2021.9.20掲載】
葉羽 そう言えば、オイルショック以降の給料馬鹿上げの頃、先輩が「家のローンが只みたいになった」と喜んでいたっけ。こんな事態を想定していなかったので、借金は固定金利で、給料が上がった分、返済負担がグッと減ったんだよね。今は変動金利が当たり前だけど、あの頃、借金して家を作った人たちは大儲けしたんだろうな。