高校1年(昭和45(1970)年入学)の思い出、三島由紀夫自決の翌日にクラス担任だった現代国語の先生が三島由紀夫について1時間語ったこと、英語の教師ですら訛っていたが生物の教師が一番訛っていたこと、最初の校内模試で数学(その1)は100点満点だったが(その2)は7点しか取れなかったこと・・・等々。
三島由紀夫自決
いずれも断片的にしか記憶にないですが、結構しっかり記憶しているのは・・・
地理の先生(苗字は平凡でしたが、伊勢吉という名前は強烈に記憶に残っています。今思うと実にお目出度い名前ですね)の言葉です。
地理ですので教科書の他に地図も授業で使いますが、その地図を片手に語った「この地図は一生取っておきなさい。この地図を見れば君たちが高校1年だった時に、世界がどうだったか分かるから」と。
地図帳
老前整理とばかりに(雑感 21)、随分身の回りのものは整理しましたが、その地図(昭和45年発行)は未だに持っています。
そして何と何と、実家で父の遺品を整理していたら、父が旧制中学時代に使っていた地図(昭和13年発行)が残っていました。
何故取っておいたのか今となっては分かりませんが、何となく父との繋がりを感じました。
(左)筆者の父の旧制中学時代の地図 (右)筆者高校時代の地図(筆者提供)
今これを書きながらもついつい見入ってしまいますが、統計資料によれば東京都の人口は昭和13年版で637万人、昭和43年版で1,086万人、ちなみに福島県は158万人、200万人、そして父の地図では日本ではなく大日本帝国・・・確かに当時の世界が分かります。
今ではネットですぐに調べられることですが、父の地図には父の匂いが、私の地図には青春の匂いが・・・もう捨てられません。
ツーさん【2021.3.8掲載】
葉羽 近年は新しい国ができたり消えたりするから、もっぱらWEBで地図を確認するけど、確かに「〇〇年頃の世界」というとデータが載ってないね。ってゆーか、未だに福島県は90市町村の頃しか頭に入ってないんで、「あの村ってまだあるんだっけ?」というのがしょっちゅうだよ(笑)