昭和63(1988)年に学位論文を書きましたが、個人用ワープロが普及してきた頃で、指導教官の森先生(雑感3)からは「お前の字は読めない。ワープロで書いてこないと読まないぞ」と言われ、ワープロを買いました。
カミさんに10万円を渡され、なるべくお釣りを沢山もらって来てと言われた手前、型落ちで安くなったキャノワードα10を購入しました。
昭和63年購入のキャノワードミニα10(筆者提供)
今この文章を書いているワードに比べれば機能的には全くお粗末で、おもちゃみたいなものでしたが、当時としては「これは画期的、世の中便利になった」と思いました。
学位論文作成は会社の仕事とは直接関係ありませんので、帰宅後に少しずつ書いていました。最後は印刷ですが、A4を1枚の印刷に5分くらい掛かり、全部印刷するのに1週間くらい要しました。
昔のプリンターのインクリボン
従来の学位論文は400字詰め原稿用紙に書きましたが、ワープロですと1枚に800字は入ります。
頁数の多寡は論文審査には関係ありませんが、見てくれも大事かと100頁何とか書きました。原稿用紙でしたら200頁でした。
100頁はそれなりの厚さになりますが、製本すると薄く見えてしまいます。論文を提出すると森先生は「おっ、コンパクトだな!」と。
コンパクトに仕上がった学位論文(筆者提供)
平成1ケタ時代はワープロを使っていましたが、ワープロもフロッピーディスクも、そしてインクリボン見掛けなくなりました。
やがて来るのでしょうね、自動運転の時代が。そして「自動車って昔は自分で動かすから自動車って言ったんだって」と言われるのでしょうね。
ツーさん【2021.3.1掲載】
葉羽 遠い昔の話。うちのカミさんが「これあれば家でも印刷できるのよ♪」と言って家庭用大型プリンターを買ってきたことがあった。でもカミさん、取説も読まずに躯体以外の付属品を「なんだこれ」と言いながら捨ててしまった・・ソフトも。TVみたいに電電にコードさえ繋げば何とかなると思ったらしい。結果、そのプリンタはただの置物として長いこと居間に鎮座していたっけ(笑)