重松清の「青い鳥」を読んでいましたら、次のようなことが書いてありました。
「日本中どこでも学校の黒板は教室の西の壁にあり、法律で決まっている。理由は-陽射しを入れるために窓は南向き、右利きの生徒にとって右から陽射しが入るとノートに手の影が落ちる、だから生徒は窓を左側にして座る。必然的に黒板は西の壁にある」。
重松清の「青い鳥」
66年も生きてきて初めて知りましたが、確かに中学や高校の時に、音楽室とかはともかく、自分の教室では西を向いて座っていました。
私の子供たちが小学校の時の授業参観でもそうでした(娘が小学校に入ったのは平成5年でしたが、授業参観でクラスに数名のクレヨンしんちゃんがいたことも思い出しました、挙手して答える時の口調がしんちゃんそのものでした。余計なことですが)。
黒板アート
が、淡い淡い小学校の頃の記憶を辿ると、5年とか6年の時ですが、東を向いて座っていました。
社会の授業で「知っている政党は?」と訊かれ「与野党」と答えた覚えがありますが、東向きで答えました。
左利き
私の通った小学校は左利きが多かったのでしょうか、あるいは当時の文部省に反発していたのでしょうか。
卒業アルバムで確認すると、1、3組は東向き、2、4組は西向きでした。
寺子屋の時代なら黒板は西の壁も納得しますが、蛍光灯もあるわけですので、どちら向きでもよいように思えました。
明治時代の教室
調べてみると、明治時代の教室には照明設備がなく、そういう法律も必要だったようですが、今はそんなことはないとのことでした。
なるほどと思いましたが、こんなことを知っていても何の役にも立ちませんね。
ツーさん【2020.11.9掲載】
葉羽 確かに明治時代の教室は西側に黒板があるね。ただ、いずれにしても窓は南向きになってるんだね。