いよいよ来年は東京オリンピック、入場券発売のニュースも流れ始め、これからどんどん盛り上がって行くことでしょう。
友人の1人にゴルフ会場となる霞ヶ関カンツリー倶楽部のメンバーがいて、「暑さ対策で一番大変なのはゴルフかな」なんて話からオリンピック談義に花が咲きます。
昭和39年の東京オリンピックの時は小学4年でした。
1964年/東京オリンピック
10月10日の開会式の日は福島稲荷神社のお祭りの日でしたが、皆テレビに釘付けで、お祭りにもかかわらず街は閑散としていました。
無敵の東洋の魔女、金メダル第1号三宅義信、同郷の円谷幸吉、体操の名花チャスラフスカ、白黒テレビではありましたが、活躍の様が瞼に浮かびます。
マラソンの円谷幸吉
昭和47年の札幌オリンピックの時は高校2年でした。
ジャンプノーマルヒルでの日本メダル独占、銀盤の妖精と言われたジャネット・リンのフィギアフリーでの尻もち、我々の世代にとっては今でも語り草です。
トワ・エ・モワが歌った「虹と雪のバラード」は今でも歌います。
トワ・エ・モワ
平成10年の長野オリンピックの時は43歳で、本社勤務の時でした。
ある日昼休みが終わってもフロアは閑散としていて、会議でもあるのを失念したかと思ったら、20分後くらいに皆戻って来て、何のことはない、ジャンプ団体が優勝するところをテレビで観ていたのですね。
オリンピックのことを書き出せばきりがありませんが、我々の世代はオリンピック観点からは恵まれた世代と言える気がします。
ツーさん【2019.3.11掲載】
葉羽 確かにね、日本で一生に4回オリンピックを見れる最初の世代なのかもね。