岸波通信その242&243を読んで、私も善哉君の思い出を一筆。
平成24(2012)年1月の小滝温泉での新年会に、実は私も参加していました。その時善哉君と久しぶりに会いました。
小滝温泉
小中高と同じながら、クラスが一緒になったことはなく、名前と顔を知っている程度でした。
ですので人となりは知りませんでしたが、私のイメージとしては、小学校低学年の頃ですが、小学館の「小学〇年生」の表紙を飾るような男の子、いわゆるいいところのお坊ちゃん、でした。

善哉君(後ろの顔が半分見えない美女はケメさん)
で、小滝温泉で初めて彼とじっくり接する機会を得たわけですが、当日の日記には「善哉君が随分と喋っていた。あんなにお喋りとは初めて知った。女性の仲居さんにもよく話し掛ける」と。
イメージは「お喋りでうるさい奴」と上書きされ、そのまま彼は逝ってしまいました。
何故彼と再会したのか思い出すと・・・。平成16年10月に福島の実家に帰り、庭に干してあった布団を取り込む時に、塀の向こうで「辻君かい?」と。
真っ黒に日焼けしたテニス帰りのMIZO画伯でした。

MIZO画伯と会った日の、かつての実家の庭(筆者提供)
12月に帰福した時には夕食を共にしました。その時に彼が岸波さんに電話し、私も久々に話し、岸波通信の配信を受けるようになりました。
機会があれば会おうとうことになり、平成20年1月に実現しました(その時の写真はまだ岸波通信「ザ・オフ会!」に残っているのですね)。
そんなことがあり翌年から何回か温泉新年会に参加しました。
新春恒例・温泉麻雀大会♪
そうです、「ラブ・ストーリーは突然に」ではありませんが「あの日あの時あの場所」でMIZO画伯に会わなければ、善哉君のイメージは「小学〇年生」の表紙のままだったのでしょうね。そういう偶然って結構あるような。
ツーさん【2025.11.3掲載】
葉羽 そっか~ツーさんを引き合わせたのはMIZO画伯だったか、すっかり忘れてた!